『ハーバード白熱教室』第2回を見た。

録画した再放送の鑑賞。今回は功利主義の話。

前半「ある企業のあやまち」

功利主義に対しては割と批判的な論調が感じられた。功利主義の例として、効用を最大化するツールとしての費用便益分析が出てくる。これはつまりメリットとデメリットを帳簿で差し引き計算してメリットが大きい行為を選択するやり方だが、この帳簿上に「人命のコスト」が入ってくるとどうか?という話として、チェコ政府にタバコ増税回避を提案したフィリップモリス、自動車のガソリンタンク改修をしなかったフォードの例が紹介される。いずれも、人命のコストとそれ以外の便益を比較した結果、後者のほうが上回ると判断した事例だ(どちらも激しい非難にさらされたとのこと)。
加えて、サンデル教授は学生たちに「運転中に携帯電話を使うことで発生する、人々が事故死するリスクと経済活動などの効用」を比較させる質問をする。この質問に、あえて後者の効用に軍配をあげる猛者もいたけれど、まあ一般的には、人命のコストを低く見積もる結論づけには心理的抵抗があるなあ。とはいえ、私たちの社会は、たとえ事故死のリスクがあるとしても自動車や飛行機のある生活を選んでいるのも事実。なんだけど、そこに「人間ひとりの命は何万ドル?」的に数値の話が持ち込まれる場面に直面するとなるとやはりちょっと・・・

功利主義者は、命に値段をつけることをためらうわれわれの性向を、克服すべき衝動、明晰な思考と合理的な選択を妨げるタブーだとみなしている。いっぽう功利主義の批判者にすれば、われわれの逡巡は道徳の重要性を示唆するものだ。つまり、あらゆる価値と事物を単一の尺度で測り比較することは不可能ではないか、と。
マイケル・サンデル著「これから『正義』の話をしよう」p.63より引用

後半「高級な喜びと低級な喜び」

ハムレットザ・シンプソンズの比較。どちらが優れた作品か、どちらがより効用・満足度の高い作品か、という話。ただ、効用や満足度は単一のバロメーターで測ることはできない。そこで「難解だけど長期的に満足できる作品」と「刺激が強くて短期的に満足できる作品」という分類での比較が試みられる。その尺度でいくと自然に「ハムレット=高級、ザ・シンプソンズ=低級」という風に考えてしまうんだけど、そこでサンデル教授は「それは君が判断した結果なのか、それとも他人から教えられてそう思っているのか?」と手厳しいツッコミ。あと、思考のヒントとしてジョン・スチュアート・ミルの言葉が紹介される。

満足した豚であるより、不満足な人間であるほうがよい
満足した愚者であるより、不満足なソクラテスであるほうがよい
その愚者が、もし異を唱えたとしても、それは愚者が自分の側のことしか知らないからにすぎない。

高級とか低級とか、どちらも知らなかったら判断できないよね・・・という話は、プラトンが『国家』の「洞窟の喩え」で言ってることに通じる。ハムレットシンプソンズ、どちらも見てその上で後者のほうがより多くの効用を与えてくれる、人生についてより深い示唆を与えてくれる、と判断するならばそりゃもう個人の好みとしか言いようがないんだが。
まあ、低級な喜びのサンプルとしては(公開の講義でなければ)シンプソンズよりもっと端的にポルノを出してきてもいいんだけど。ただ、ポルノというのは微妙なジャンルで、たとえば実写版の児童ポルノのように犯罪かつ非道徳な行為がダイレクトに「娯楽」とされるとなれば、これは講義で触れられた古代ローマキリスト教徒虐殺と同列に考えなくてはいけないわけで。