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『たまこラブストーリー』鑑賞雑記

はじめに

昨年1〜3月にTV放映された『たまこまーけっと』(以下、放映版)は、独特のほんわかしたムードと細部にこだわった描写が好印象の作品でした。好印象ではありましたが「この物語は全12話でしっかり終わった」と感じていたので、映画が作られるという話を聞いたとき、そのタイトルが『たまこラブストーリー』と聞いたときは、ちょっと不安のような感情を持ちました。
そして、初回の鑑賞時は少々違和感を覚えましたし、作品の流れ、中盤で主人公たまこが変調をきたすあたりから予想以上に重たいものを感じてしまいました。
とはいえ、作品のテーマ性は明快で分かりやすく、再見してみると(話の筋をあらかじめ知っているという利点もあるため)割と心地よく鑑賞することができました。また、放映版と同じく、いやそれ以上に細かい描写や演出に凝っているのが見えてきました。
今回書くのは、2回の鑑賞で見えてきたこと、気になったことの列挙です。総合的な作品評にはなっていません。
鑑賞直後に覚えていることを走り書きして、それをもとに書いていますので、多少誤認識があるかも知れませんがご容赦ください(また、ネタバレを遠慮せず書いたので、未見の方はご注意願います)。

作った人の顔が見える音楽・映像

たまこラブストーリー』では、オープニング・劇中・エンディングに渡って『こいのうた』がバージョン違いで3回も登場します。
まあ、作品タイトルが『たまこラブストーリー』ですし、親世代のエピソード*1も重要であることを考えれば何とか納得できるのですが、初回鑑賞時はちょっと違和感を覚えました。
しかし、山田監督の前作『けいおん!』シリーズを思い返してみると、物語の中で「誰が、誰に宛てて作ったのか」が見えてくる楽曲、そうしたものを作品内で積極的に使いたい意向が、今回の『たまこラブストーリー』においても強かったんだろうな、という風に考えることもできます。
本作は『けいおん!』のように音楽をやっているキャラクターがメインの話でないので、劇中人物による楽曲をバンバン使うわけにはいきませんが、放映版BDの付属CDに見られる、レコード店『星とピエロ』のマスターが流している楽曲にいちいち架空ミュージシャンを設定をこしらえる趣向などは「ほんの少しの隙間にも物語性を入れたい!」という意志が働いているように思えるのですがどうでしょうか。
映画の話に戻すと、豆大の『こいのうた』に対して、ひなこの拙いアンサーソングを配置する趣向を見れば、手作り感というか「作った人の顔が見える」というのを大事にしているのが感じられました(劇中人物が関わる設定を盛り込むことでドラマ性が生まれる面もあると思います)。
また、映画のエンディングでは、もち蔵たち映画研究会が作ったであろうストップモーションの映像が出てきますが、これも同様の意図でしょうね(確か『けいおん!!』の後半OP映像も、素人がビデオカメラを回して撮ったという想定のものだったと記憶しています)。

既成曲『上を向いて歩こう』を使った意図は?

第1コーラスの歌詞を以下に引用します。

上を向いて歩こう
涙がこぼれないように
思い出す春の日
ひとりぼっちの夜

はっきりした意図は分かりませんが、歌詞に何らかの意味を持たせたかったのだろうと思います。
歌詞が物語にマッチしてたからか、あるいは劇中で人物がほとんど泣かないことと何か関係があるのかも知れません。劇中ではインストゥルメンタルのアレンジで流されていますが、歌詞を知っている人にそっと伝わればいいという、一種のほのめかしでしょうか。

放映版の描写との関連性

映画、放映版それぞれの描写で関連がありそうなものを書いてみました(以下「〜話」とあるのは全て放映版の放送順です)。

ジャンプカット

もち蔵が自室のベッドに身を投げ出すあたりの演出。みどりの出てくる10話シークエンスにも類似のジャンプカットがありました。5話ではデラの「同じ匂いがする」発言がありましたが、似た傾向をもつキャラクターとして位置づけたかったのでしょうか。

コンタクトレンズ

たまこが川に落ちた直後に見える輪郭のはっきりしない映像演出。
コンタクトレンズといえば、放映版ED曲『ねぐせ』の歌詞に

コンタクトを外してみた
世界がぼやけて
一瞬だけど居場所を確認しちゃうよ
いつか離れていくのかな

という箇所があります。
映画の中で「ぼやけて」いたのは、たまこの視界であり、
「いつか離れていく」というのは、もち蔵の暗示か。
そのようにも感じられます。

スキップ

いくぶん気分が晴れやかになった時点で、たまこの見せるスキップ。
これは放映版OPと同じモーションですね。あのOPに見える彼女は天真爛漫そのものだったのですが、映画版ではスキップの途中で再び不安と動揺に襲われてしまいます。そのギャップを見せる演出としてのスキップはなかなか効果的でした。

星空

風呂屋の帰り、たまこを包む星空のカットがありました。これは11話、みどり・かんな・史織の3人が星空を見上げる場面を想起するところです。11話では、かんなの「宇宙のに立ったみたいな気分なんですよ、動揺してる」という台詞がありましたけれど、空、とくに夜の星空というのは、この作品では「まだ見ぬ世界への不安」を表しているようです。
別の場面では『映画けいおん!』と同様の飛行機雲や飛行機の出てく短いカットがありましたが、これは希望や期待といった別のニュアンスで見ることができるでしょうか。

朝の商店街

スランプ気味のたまこが早朝の商店街を歩いてみるくだり。11話の終盤では失くしたメダルを探して寝間着のままうろつく場面がありました。普段のたまこは家の手伝いがあるから、早朝からのんびりと屋外を歩くことはまずないのでしょう。たまこの見せる「非日常」に対して、商店街で開店準備をしている人々は「いつもどおり」。このギャップは部活の描写にも見ることができます。恋煩いでなくても、精神的に落ち込んでいるときなどは、自分は調子悪いのになんで周囲の人は普通に動きまわっているのだろうという気分になりますし、そんなことを考えさせる場面でした。

史織の発言

告白してきたもち蔵に何と返答すればいいのか悩むたまこと、相談に乗る友人たちのくだりで史織が「うれしかった、だけでもいいんじゃないかな」と返します(台詞はうろ覚えです、間違っていたらすみません)。これは3話で史織からたまこに言う「すごくすごく楽しかったの!」との関連を感じるところです。史織が抱いていたのは恋愛感情とは別物でしたが、自分の気持ちをシンプルでもいいからストレートに伝えるべきだ、というのが、自分の経験から出てきたのかな、と思いました。

たまこの不安

たまこの性格について言いますと、融通が効かないわけではないけれど、生まれてからずっと(商店街の人々や友人に支えられながら)継続する日常生活の心地よさを十二分に味わってきたために、ちょっとした周辺の変化に対して脆く、不安や動揺を覚える子のようです。母親の死によって生じた商店街の静けさが、たまこにとってはトラウマであり、同じような状況を目にするとフラッシュバックを起こすリスクを抱えています。

この作品では「不安」は「非日常」と表裏一体の関係です。6話、11話、12話に見られるたまこの描写は、映画版の前触れといったら語弊がありますけれど、映画ではTV放映版でほのめかしていた不安がよりシリアスな問題として表面化したように思えます。いつもと違う(非日常の)もち蔵の挙動を見てしまったことで精神的な動揺を覚えるたまこの描写がそれを指し示しています。

たまこがいかにして自身の不安状態を脱することができたのか・・・という話はまた別の機会にしようと思いますが、たまこだけでなく、みどりやもち蔵も放映版エピソードで少しずつ不安を見せていましたし、映画版になって急にシリアスな色合いが出てきたのではなく、以前からその前兆、ほのめかしはあったのだと思います。

おわりに

また、時間に余裕ができたら、別エントリーを書くかも知れません。

*1:『こいのうた』は豆大(たまこの父親)が、ひなこ(たまこの母親)に告白する形で作詞したという設定がある。