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『けいおん!!』BD3巻を見てHTTのドメスティックな佇まいを改めて実感する。

なんかもう最近はけいおんネタばかりですみません・・・

3巻目のBDは第7話「お茶会!」から第9話「期末試験!」までを収録。今回、見返してみて改めて感じたのは、やっぱりHTTの子たちはドメスティックな存在なんだなあという点でした。
まあ、高校の学園内部がメインの話ですから設定上そうなってしまう面もあると思いますが、とくに第7話と第9話の演奏シーンを見ると、彼女たちの音楽は本当にごくごく親しい仲間に聞いてもらう、喜んでもらうことだけを想定した音楽なんだろうと感じます。べつに外部のリスナーをシャットアウトしているわけではないけど、劇中においては、少なくとも彼女たちと一対一のコミュニケーションの生じていない「不特定多数」向けの音楽にはなっていないんですね。
たとえば、過去に一度だけライブハウスで演奏した第1期の番外編も、さわ子や憂のような親しい仲間の存在があるからこそ成り立つエピソードでしょうし、3年生での学園祭ライブでモブ子たちがフィーチャーされていたのも、第2期に入ってから彼女たちとHTTとのつながりが(ささやかですが)見えてきたからに他ならないと思います(だから、あそこで平沢家の両親が顔を出したり歓声を上げたりしたらNGなんですね)。
そういう内輪向けのドメスティックな性格をもった楽曲が、物語の外の世界では「不特定多数」のリスナー相手にヒットチャートを席巻する売り上げを見せているのは、皮肉というかどうも変な感じではありますけど、ただ実際のところ、ぼくらは作品を見ている間は一時的にではあれ、彼女たちの「仲間・友達」になったつもりで楽しんでいる・・・とも言えるし、その意味では、視聴者(=リスナー)は決して「不特定多数」な存在ではない、という解釈も可能かと思います。
HTTのドメスティックさを決定づけるキャラクターは、やっぱり唯ですよね。唯は、悪く言えば視野狭窄ですが、良く言えばリアリストなんだと思います。演奏シーンに関連して言えば、第6話の憂、第9話のおばあちゃんのように、唯には自分のすぐ目の前にいる存在しか見えていない。このあと、第2期後半で見せる作詞センスも同様で、澪のようにファンタジックな世界観を思い描く能力はぜんぜん備わってなくて、食べ物とか自分の妹とか、目に見えるリアルな対象しか歌詞にできない。
でも、唯のそういう性格が、物語が進むにつれてHTTのスタンスになっていったと思います。