『苦役列車』

遅ればせながら単行本を購入。

苦役列車

苦役列車

無頼派かつ私小説スタイルということで故チャールズ・ブコウスキーを思い出したんですが、文章から漂ってくる匂いやテイストはブコウスキーのそれとはちょっと違うかな。ブコウスキーがクランチーで疾走感のあるパブロックだとしたら、西村賢太はどろどろと怨念じみたアングラフォーク的なんですな。というわけで(かどうかは知らないけど)三上寛が「四畳半のアパートで それでも毎日やることは ヌード写真に飛び散った カルピス拭くことよ」と物凄い声で歌う『ひらく夢などあるじゃなし』を思い出してしまったり。
ひらく夢などあるじゃなし

ひらく夢などあるじゃなし

それはそうとして、強い印象を与える作品であることは間違いありません。冒頭のくだりではないが、そばから悪臭のただようボロアパートの便所のような、思わず息を止めたくなるような箇所もちらほら。女性に関する描写のところは「ちょっとこれは書きすぎでは・・・」と引いてしまう所もありました。
少年期の家庭環境が主人公(作者)に重い影を与えていることは確かですが、それだけに還元できない、懶惰で不器用な生活、人間関係を繰り返してしまう生き様。このあたりは「もう少し知恵を働かせて要領よく渡り歩くこともできたろうに」と第三者視点から指摘するのは容易ですが、小説を読んでいると、ついつい自分が二十歳前後の頃の記憶が蘇ってくるんですな。
ああ、俺ってこんな情けない人間やったんか、と内心腹立たしく思いつつもなかなか修正をすることができずにずるずる行ってしまうやるせなさ、自分の至らぬところに目を背けて周囲の人間へ嫉妬や怨念ばかりをつのらせても、その結果として何かが起こるわけでも変わるわけでもない。作者と自分とでは生きてきた道のりは全然違うけれど「わかるなあ」と思える部分はそこかしこに感じました。
門外漢の印象ですが、私小説って意外と難しいジャンルじゃないかと思うんです。自分自身、こと自分の嫌な部分から目を背けていては説得力のある文章は書けないわけだし、その嫌な部分に集中して書いていると、自分自身にその嫌な部分がフィードバックしてさらに嫌な気分が増幅して、どうしようもなく陰鬱な状態に陥ってしまい、結局一歩も前に出られなくなりそうで。
最初にブコウスキーの名前を出しましたが、ぼくが西村さんに望むとすれば、陰惨な描写の中にもどこかユーモアのセンス、自分自身を笑い飛ばすくらいの余裕みたいなものがあったら、もっと面白い作品になっていくんじゃないかな、ということです。ブコウスキーの作品では短編集『町でいちばんの美女』が好きで何度も読み返したものですが、どんなにグロテスクで酷たらしい情景が出てきても不思議と嫌な後味は残らなかったですね。青野聡さんの訳がしっくりきたせいかも知れませんが。
町でいちばんの美女 (新潮文庫)

町でいちばんの美女 (新潮文庫)

とはいえ、人を選ぶ作品ではあります。事実、友達に貸してドン引きされたこともあります。