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『ハーバード白熱教室』第4回を見た。

今回はジョン・ロック(1632〜1704)の思想について。

前半:土地略奪に正義はあるか。

政府や法律ができる前の「自然状態」を理想としたジョン・ロックは、人間が労働によって取得したものはその人の所有物であり、他者によって奪われるべきではない、と主張する。彼の生きた時代はアメリカが独立する前の時代、まさに「自然状態」を想定する上では打ってつけの場所だったようだ。
しかし(白人入植者によるネイティブ・アメリカンへの収奪行為を歴史として知っている)現代人の目から見れば「当時のアメリカを理想的な自然状態として見ることができるのか、当時のアメリカで入植者たちが行っていたことは果たして正当化できるのか」という疑問も生じる。
また、政府による所有財産の収奪(所得再分配)を認めないリバタリアニズムの考え方と、当時のジョン・ロックの思想とは、どのくらい共通性があるのか。そういう疑問も生じてくる。
サンデル教授は「ロックは『政府』の存在を認めていたから、何でもあり的なリバタリアニズムとは違うのだ、彼らはロック思想の継承者ではない」というスタンスのようだが、たしか第3回の講義では、リバタリアンは「取得の正義」と「移転の正義」を前提にして個人の所有権を主張していた」という解説がなされていたはずなので、やや不可解な気がする。ともあれサンデル教授がリバタリアニズムに対して批判的な立ち位置なのは確かだろう。

後半:社会に入る同意

なぜ、人間は理想的な「自然状態」を離れたのか。
自然状態では、誰もが自然法の執行者であり、侵略者を罰する権利を持つ。しかし、この自然状態においては、人々が行きすぎた侵略や処罰をしてしまう傾向にあり、その結果として「自然に対する不可譲の権利」が失われてしまう。
ただ、その自然状態を捨てたからといって、少数統治者による恣意がまかり通る社会を正当化するわけにはいかない。そこで、人々が社会契約(=同意)を通じて個々の自然権が最大限尊重される社会づくりを目指すべきではないか(そうした合意の上に成立する政府を維持するために、人々が財産的な負担をするのはやむを得ない)。
ジョン・ロックの思想をごく簡単にまとめたらこんなところか。
学生の中からは「同意と言ったって、自分たちが実際に目に見える形で政府と同意や契約を交わしたわけではない。そんな同意が有効と言えるのか」という疑問が出てきた。それに対して「我々の享受している権利は義務と表裏一体なのだから、対価として税金などの負担をするのは当然ではないか」との反論もあった。
サンデル教授はここで「では、徴兵制をどう考えるのか」と問題提起する。社会を維持するために、一部の人間が生命のリスクを冒すこと(生存権の放棄)は合意によって正当化できるのか、という話。これは第1回の講義に出てきた、イギリスの食人事件とリンクしている。
まあ、生命のリスクとまでは行かないでも、個々の意に反する行為(=権利の放棄)が「社会の維持」という目的のためにどこまでなら認められるのか、それは自然状態と比較してどのくらいのリスキーと言えるのか等々、疑問は尽きない。