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動物化するポストモダン

今更ながら購入。

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

もともとアニメ方面には疎いほうであり、本書で紹介されている作品では『エヴァンゲリオン』くらいしか知らない。いわゆる「萌え」や「ツンデレ」という要素に興味を惹かれることもほとんどない。それでもまあ、書かれている内容については大ざっぱではあるが理解できた。
一部引用。

物語消費に支配されたオタク系文化においては、作品はもはや単独で評価されることがなく、その背後にあるデータベースの優劣で測られる。(p.53)

オタク系文化は二次創作に満たされている。そこでは原作も二次創作も、あたかも「同等の価値」をもつかのように生産され、消費されている。しかし、それら二次創作のすべてが同じ価値であるわけではない。それでは市場は育たない。実際にはそれらシミュラークルの下に、良いシミュラークルと悪いシミュラークルを選別する装置=データベースがあり、つねに二次創作の流れを制御しているのだ。ビックリマン・チョコの773枚目のシールは、772枚を支えるデータベースを適切に共有していなければならないし、そうでなければそもそも二次創作だと見なされない。『綾波育成計画』も『エヴァンゲリオン』と世界観を適切に共有していなければならないし、デ・ジ・キャラットのデザインもまた1990年代後半の萌え要素を適切にサンプリングしていなくてはならない。そのような手続きを経ず、単に無趣味に作られたシミュラークルは、市場で淘汰され、消えゆくのみである。(p.87-88)

こういう傾向は今でもそうかなと思う。ニコニコ動画に投稿されたMAD作品も、作り手と受け手の間で共有される「データベース」の重なる部分が多いほど、コメント数やマイリスト数による評価が高くなっているに違いない。もちろん、ぜんぜん異質の要素をぶち込むことで意外な面白さを醸す作品もあるけれど、単に作り手の趣味だけでこしらえた作品は「わかってないな」とスルーされてしまうことが多いのだろう。
というか、ぼく自身がアニメやゲームについて基本的に「わかってない」人間なので、作り手になることはおろか、受け手になることすらやや躊躇ってしまうこともある。つまり、東さんのいう「データベース」を他者と共有できていないことを薄々分かっているゆえに、なにがしかのアニメを見ても「ここは何からの引用で、ここは何のパロディーで、ここは所謂お約束で・・・」という予備知識を持っていない以上は(多くの人と比べて)見る楽しさをほとんど享受できないのではないか・・・と、心配感を先取りして尻込みしてしまうのである。オリジナル作品に対する印象(先入観)がそうである以上、二次創作については言わずもがな。
とはいえ、データベース云々についての心配も、作品に対する慣れ親しみによって徐々に解消されていくのかな、と思ったりもする。今年に入ってリアルタイムで視聴してきた『けいおん!!』や『四畳半神話大系』などは、続けて見ているうちにキャラクターへの愛着が確実に強くなってきたし、ネット上の反応にも親近感が湧くようになってきた*1。慣れ親しみの度合い如何で、人間ひとりの見方・考え方なんて簡単に変わってしまうのかも知れない。
本書が刊行されて9年経った現在では、ネットの重要度はずいぶん上昇したと思う。ニコニコ動画はてなブックマークタグ機能で「データベース」へのアクセスは誰にでも容易になったし、動画サイトやボーカロイドのおかげで二次創作がどこでもフリーで楽しめるようになった。ぼくのような「わかってない」人には、はてなキーワードニコニコ大百科が無言で情報を渡してくれる。各人が意識しようとしまいと「データベース」に依存する傾向は強くなっているのだろう。

*1:まあ、自分から「あずにゃん俺の嫁!」とか言ったりはしないけど、そう言いたくなる気持ちも分からんではないかな。