『教養としての日本宗教事件史』つづき

昨日のつづき。

教養としての日本宗教事件史 (河出ブックス)

教養としての日本宗教事件史 (河出ブックス)

13章「出開帳という新しいビジネス・モデルの登場」では、千葉県にある新勝寺について触れてあります。
新勝寺は940年に建てられた古い寺院だが、江戸時代に入るまでは無名だったらしい。この新勝寺を再興した照範という僧侶は、寺の本尊である仏像を江戸まで運び、そこで大勢の参拝者を集めるという布教方法をとった。
これが成田不動の「出開帳」の始まり。最近でいえば奈良・興福寺の阿修羅像が東京や福岡で公開されて人気を集めたことに近いだろうか。ともあれ、参拝者をかき集めることによって寺院経営が観光産業・ビジネスとして確立した点は注目に値する。また、江戸時代の中期には京都の名所案内本『都名所図会』や江戸の神社仏閣を案内した『江戸名所図会』などのガイドブックが刊行されたとのこと。その頃から日本の宗教は信仰だけでなく観光・レジャー産業としての側面を持っていたようだ。
さて、京都では特に紅葉の季節になるとどこの寺院も観光客でごったがえし、そうでなくても夜間のライトアップなんかで人集めに熱心なところも少なくない。それを「商魂逞しい」とか「坊主丸儲け」と揶揄する気もないけれど、ぼくは人混みにまみれてしんどい思いをしながら寺めぐりをするのは好きじゃない。たいていはなるべく閑散とした時期に色づく前の青いモミジを見ながら「ああここも秋には・・・」などと思いながら、あるいはつぶやきながらひとり寂しくうろうろするのである。
人混みが嫌いなだけで、寺めぐりをすること自体は好きだし、神社仏閣に入れば一応賽銭投げて手を合わせるものの、さしたる信仰心を持ち合わせているわけでもない。そういう点でぼくはやはりれっきとした「観光仏教徒」であり、江戸時代に興った日本宗教の流れにしっかり乗っかっているんだろうなと思う。
昨日のつづきでいえば、日本でキリスト教が流行らないのは「観光名所になっているキリスト教の寺院や教会が日本にはほとんどない」ためではないかと思ったりする。行ったことないけれど長崎の大浦天主堂は観光地になっているんだっけ。それくらいしか思いつかない。一般の教会では日曜日に信徒以外の人も入れるようになっているようだけれど、それはあくまで礼拝が目的だからね。そんなところで日本のキリスト教は部外者にとって敷居が高いイメージにつながっているのでないかな。観光面でキリスト教が色気を見せるようになるとだいぶ変わるかも知れない。