アマテラス
いやあ、面白かった。まずは神話の描写から。
- 作者: 斎藤英喜
- 出版社/メーカー: 学研パブリッシング
- 発売日: 2011/01
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アマテラスは降っていくホノニニギに、岩戸の前で使われた鏡と玉、そしてヲロチの尻尾から発見された草薙の剣を授ける。後の三種の神器である。そしてアマテラスは、こう告げる。
この鏡こそ、ひたすらに我が御魂として、我自身を祭るように心身を清らかにして斎き祭れ。(『古事記』上巻)
自ら武装して戦う女神アマテラスは、最終的には、鏡のなかに自らの魂を移し、清浄なる者たちによって祭られる神へとメタモルフォーゼする。祭られる皇祖神としてのアマテラスの誕生である。(p.24)
神話の中では「鏡になった」アマテラスですが、時代が下って神仏習合・本地垂迹説の盛んな中世に入ると大日如来や観世音菩薩と同一視されたり、はたまた蛇(アマテラスの本地たる愛染明王との説もある)に変身したりします。そして明治時代になると、国家神道が確立していく中で再び皇祖神として祭られることになります。
まあ、別にアマテラスが自分の意思で仏様になったり蛇になったりしたわけではなくて、時代が移ろいゆく中で彼女(と言ってしまうと何となく恐れ多いかも?)にそういった数多のイメージを人々が付加していったのだろうと思います。そういう意味でアマテラスは私たち日本人の心を投影した「鏡」と言っていいかも知れません。
アマテラスが如来や菩薩と習合されたのは仏教サイドからの意図かと思ったのですが、意外にも神道サイド、伊勢神宮の祭主を務める人が「アマテラスの本地は観世音菩薩」と思い至ったなどの説も出てきます。中世の宗教世界はなかなか奥深そうです。
また、伊勢神宮が仏教を忌避するのは、実は(大日如来を本地とする)アマテラスが仏敵・第六天魔王(他化自在天)を追い返す口実だったとのトンデモ説も紹介されています(無住『沙石集』)。そのためにアマテラスは二枚舌を使う嘘つきの神様に認定されてしまったとか。まあ、これはトンデモ説というよりむしろ、国生み神話を改変したいわば「二次創作」と考えた方が面白いかも知れません。
明治時代に入ってから、国家が祭る神の中にアマテラスだけでなく(幽冥界の主である)オオクニヌシも入れてくれという出雲派・千家尊福の主張による「祭神論争」にも触れられていますが、このあたりは原武史著『出雲という思想』のほうが詳しくて面白いです。
- 作者: 原武史
- 出版社/メーカー: 講談社
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- 作者: 平田篤胤,子安宣邦
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