観世会館で能楽鑑賞

今日は、仁王門通を挟んで国立近代美術館の南にある観世会館での催し「同明会能」を見てきました。
本当は明日(28日)の京都観世会例会で(初心者にも取っつきやすいと評判の)「舟弁慶」を見てみたかったのですが、まあそれは今後の予定に入れるとして、演目は以下のとおり。

素囃子「揉之段」(笛・小鼓・大鼓・太鼓のアンサンブル。謡なし)
舞囃子「淡路」「巴」「遊行柳」「花筐」「野守」
(休憩)
狂言「文荷」
一調一管「天鼓」(笛・大鼓・謡のアンサンブル)
一調「雲林院」(大鼓・謡のアンサンブル)
能楽「海士」

素囃子というのは初めて聞いた。コン、コンと規則的なリズムを刻む小鼓の上に、大鼓がシンコペーション的に絡んできて、その具合が面白かった。プロの演奏家には失礼な話だけれど、楽器やかけ声をサンプリングしてテクノやヒップホップ的に遊んでみるのも楽しいだろうなと思う。
舞囃子の演目「野守」は、昨年末に金剛能楽堂で能の舞台を見た。おそらく終盤のクライマックス部分を扱っているのだろう。広げた扇子を鏡に見立てて、ときおりジャンプしながら舞う姿はスリリングだった。
狂言の「文荷」は、主人から手紙を言付かった太郎冠者と二郎冠者が、あまりに手紙が「重い」ので駕籠のように棒に吊して担いでみたり、道中で手紙をこっそり開けて読んで挙げ句の果てには破いてしまったり、わりと先の展開が読める話ながら、能と違ってセリフが現代の口語に近いので肩肘張らずに楽しめる。
さて、ラストの「海士」については、事前にジュンク堂で謡本(1冊2,000円也)を購入した。これは前回鑑賞の反省があるわけで、能の舞台は漫然と見ていても(パンフレットに書かれた程度の情報では)何を言っているのかサッパリ理解できないからである。たしかドナルド・キーンの著書「能・文楽・歌舞伎」にも「シテは能面を付けているのでよけいにセリフが不明瞭になる」と書いてあったが、それだけでなく囃子の音量が結構大きいので、カーン!と響く大鼓やイョー!というかけ声にセリフがかき消されることもしばしばである。そうなると歌舞伎と違って動きの少ない能は、さらに意味が理解できなくなり、理解できないと単に苦痛な鑑賞となってしまう。そういうわけで、素人や門外漢こそ、謡本に目を通してセリフをいちいち確認しながら鑑賞することが不可欠だと、能楽鑑賞歴たった2回のぼくながら思うのです。
「海士」は、藤原房前という貴族(この役は少年が演じていた)が、海女をやっていた亡き母との再会を果たすという話(詳しいことはウィキペディアの解説をあたってください)。前シテは海女姿の母親、後シテは成仏して龍女となった母親である。仏教信仰がベースとなった物語らしいけれど、海に潜って珠を取ってきたり、竜宮が出てきたり、どこか日本神話を思わせるところもある。終盤に披露される龍女の舞は「早舞」というらしいが、それほど動きが激しいものではなかったけれど、オレンジ色の衣装が映えて非常に美しいものだった。ここでまさに「この世のものとは思えぬ」といった感慨を覚えるようになったら本物だよなこりゃと思ったりもする。