感覚・認識のずれについて

昨日のつづきです。
医学に関しては素人なので間違いがあるかも知れないが、自閉症アスペルガー症候群の特徴を「一般人との感覚や認識のずれ」であるとするならば、ぼくにもそういう部分が少なからずあったと思う。そのために(他の人と比べて)余計な回り道をしたり、損をしたりしたことも多い人生だったという気がするし、これからもそういう傾向は出てくるんだろうなと思っている。
たとえば、ぼくにA君という友達がいて、そのA君が(彼の友達である)B君と連れ立って向こうから歩いてくるとする。ぼくの認識はこうである。B君は「A君の友達」であって「ぼくの友達」ではない。別にB君のことを毛嫌いしている訳でも何でもないが、ぼくにとっては「A君の友達」であることは即ち「ぼくの友達ではない」ことを意味するのである。だから、B君に対してぼくが他人行儀な振る舞いをする、あるいは直接話しかけないのは、いたって自然な行為なのだと(たぶん、多くの人にとってこうした感覚や認識は奇妙なものとして映るだろう)。
まあ、よっぽどB君がフレンドリーな奴で、積極的にガンガンぼくのほうに話しかけてきたり「おお、こんど飲みに行こうぜ」と誘ってきたりする性格だったら別だが、ぼくの経験上そういうことはほとんどなかった。おそらく、B君からすればぼくのひどくよそよそしい態度にとまどい閉口してしまったに違いない。そのほかにも、たとえば運動が苦手なぼくの前でサッカーや野球の話を嬉しそうに話す奴がいたら「ああ、こいつとは絶対に友達になれないな」と思ったり、運転免許をもっていないぼくのそばで車の話に興じる奴の前からは一秒でも早く逃げ出したいとか、そんなことをよく考えていたのだ。
人見知りが激しい、といえばそうなのかも知れない。ただ、ぼくが誰かと友達になるにはあまりにも多くの「境界線」が存在しすぎるのであった。もっとも、自分のごく親しい友達がどうやって友達を増やしていったかを細かに観察して真似てみる方法もないではないが、そんなことを考えるという「選択肢」をぼくはほとんど持っていなかったのである。ぼくのような人間と、他の人間の、どちらが交友関係や人脈を広く築けるかと言えばそれは火を見るよりも明らかな話だ。
最近になってからやっと気付いたのだが、ネットでの付き合いというのも実生活の作法と何ら変わりはない。何らかの情報を得たいと思うときに「ネット上で共通の話題・関心分野をもった友達を作る」という発想・選択肢があるのとないのとでは大きな差が出るだろう。もちろん誰でも彼でも安易に信用して良い訳ではないにせよ、単に情報そのものに当たっていくだけよりも、人付き合いの中から知らず知らずのうちに情報を得ていくルートを持っているほうが得であることは間違いない。
いや、そういうことは頭では重々承知しているのだが、どうしてもぼくはその一歩先に足が踏み出せないところがある。このつづきはいずれ近いうちに。