吉田神社〜金戒光明寺

吉田神社

東一条通を自転車で東進。

おや、京大キャンパスの中から御輿が出てきたぞ。京大の学園祭にしては早すぎ、というか年齢的にどう見ても大学生じゃない面々・・・

吉田神社の境内に入ってやっと分かったのだが、今日(11日)は吉田今宮神幸祭、その御輿巡行でした。

神社の本宮前。ここに来るとどうしても『鴨川ホルモー』の一場面を思い浮かべてニヤニヤしてしまう。ああ、ここでバカな大学生どもが裸踊りしてたのかと(失礼)。さて、境内の立札によるとこの神社は「室町時代中期に吉田(卜部)兼倶が吉田神道唯一神道)を大成し、山上に斎場大元宮を造営してから、吉田流神道の総家として明治に至るまで神道界に大きな権威を誇った」とのこと。人気は少なく、拝殿前はなかなか厳粛な雰囲気だった。

本宮の東側にある吉田山に登ってみる。舗装のない山道ではあるが山の標高はわずか105.12m。5分もあれば頂上まで行ける。もっとも山の上は公園(吉田山公園)になっているのでどこが頂上なのかはよく分からない。公園の片隅には旧制三高の「逍遥之歌」の碑が建っていた。

吉田兼倶が造営したという大元宮。奥の方では年配の女性が祝詞のようなものを書いた紙を手に熱心に祈っていた。ちょっと近寄りづらかった。

真如堂

吉田神社大元宮そばを自転車で駆け抜けようと思ったところが、かなり急勾配の上り坂なので断念。ペダルが前に進まず、しかたなく自転車を押して登ることにした。坂を登り切ると今度は急勾配の下り坂。自転車に乗るとブレーキをかけていても思わず前に身体が飛び出してしまいそうで怖いくらいの下り坂である。アニメ版『時をかける少女』だったらタイムリープできちゃったりするんだろうが、30過ぎのおっさんにそういう展開が待っているはずもないので、自重してまた自転車を押して進むことにする。

坂道が終わって東南方向へ進んでいくと朱色の門柱が待っている。ここが真如堂

本堂に上がると静謐な空間が広がっている。ああ、ぼくが求めていたのこういう空間なんだなと思った。神社の厳粛さも悪くないが、寺院の堂内に入ったときのゆったり包まれるような柔らかな空気感にはかなわない。
本尊・阿弥陀如来(通常は非公開)はきらびやかな金色の装飾物に囲まれていて、平安時代の浄土信仰を思わせる。拝観を申し込むと本日は庭園を見ることはできないとのこと。代わりに受付の男性が寺の歴史や所蔵物について詳しく話を聞かせてくれた。
本尊の阿弥陀如来は通称「うなずきの弥陀」といい、叡山の僧兵を守ってくれと頼んだところ聞き入れてくれず、市中の人々、とりわけ女性たちを守ってくれと頼むと快くうなずいたとのこと。そのため女性からの帰依が篤いらしい。当時の僧兵たちは、叡山の僧兵たちはしばしば御輿を担いで御所に押しかけ強訴を繰り返したらしい。後白河法皇だったっけが「鴨川の流れと、さいころの目と、僧兵だけは思い通りにならんわい」と嘆いた時代の話。
また、真如堂陰陽師安倍晴明とも縁がある。安倍晴明が病に倒れて黄泉の国に行きかけたところ、この人は特別なお方でまだこの世にいてもらわないと困るんだと周囲の者が閻魔大王に訴えたのが聞き入れられて蘇生したのだとか。晴明が閻魔大王からもらった印鑑つきの紙には魔除け・長寿・極楽往生の御利益がある。死んだ人がこの紙を持っていると現世での業を映す鏡に何も映らないので地獄へ堕ちる心配はないのだそうだ。
あと、堂内の装飾物の多くは三井財閥からの寄進が多いらしい。堂内を見渡してみるとなるほど、四つの菱でできた三井家の家紋が装飾品の中に織り込まれたり刻まれたりしている。

三重の塔。本当はもう少し境内を見て回りたかったのだが、受付さんの話でお腹いっぱいになってしまったので帰りはさくっと。11月のお十夜には阿弥陀さんが公開になるそうなのでまた見に来てみよう。

金戒光明寺

真如堂の南にある浄土宗のお寺。

写真奥にある本堂は無料で入れる。ここも堂内はゆったりしていて居心地が良かった。
本堂出入り口の左手には「山越え阿弥陀図」という面白い仏画が掛かっている。平安時代の浄土信仰が由来だと思うのだが、描かれている阿弥陀さんの指から五色の糸が垂れ下がっていて、それが撞木とつながっている。これで鉦を叩くと阿弥陀さんとのご縁が生まれるらしい。絵から糸が飛び出している趣向は珍しいのではないか。

南門近くの鐘楼そばから撮影。奥に見える赤い物は平安神宮の鳥居。写真からはほとんど見えないが京都タワーもかすかに見ることができた。