鎌倉時代の「念仏」は"nembut"だった?

戯れに親鸞の『教行信証』なんか読んでいる。

教行信証 (岩波文庫)

教行信証 (岩波文庫)

岩波文庫の『教行信証』には、全ての漢字にフリガナがつけてあるのだけれど、現在の読み方とは少しずつ違っていて面白い。単に旧仮名遣いというだけではない。
たとえば、心が「しむ」、三が「さむ」なのである。こういうフリガナは今まで見たことがなかった。例として引用すると、

・心(しむ)おおきに歓喜せん。(p.50)
・慈に三種(さむしゅ)あり。(p.51)

などなど。
韓国語を勉強した人ならご存じのとおり、韓国語の発音では心が「심(sim)」で三が「삼(sam)」となる。"m"の次に"u"がつかない。ひょっとすると、親鸞の時代の日本語はこれと同じ発音だったんじゃないかと思った。つまり当時の発音は"simu, samu"ではなく、韓国語式の"sim, sam"ではなかったかと*1。まあ、親鸞の生きていた鎌倉時代の発音が現代の韓国語と同じである必然性は全くないのですが、ちょっと気になる。
発音関係で検索をしているとこんな記述を見つけた。

上記の連声の例は、近世以降の日本語においては、唯一母音をともなわない発音である「ん」に区別なく集約されているものの、中世以前の漢字の発音(漢語読み・音読み)には、古漢語、ないし古朝鮮語の漢語読みに影響を受けて、単独では無音終声ないし鼻音をともなって発音されていたものが多くあり、また「ち chi」・「つ tsu」ないし「と to」は現在では完全に独立したモーラになっているが、中世以前には歯茎内破音ないし無母音の歯茎音の「t」として語尾に用いる漢字も多く存在しており、これらが後に続く語との間で連音化していたものの名残りである。

かつてはそれぞれの漢字が、単独では
(略)
「三」 中世:sam ([saɴ])
(略)
と発音されていたことから、後に続く母音ではじまる発音を持つ漢字との間で連声を発生した。
連声 - Wikipedia

あっ、やっぱり三は"sam"だったのか。
続いてこんな記述が。

さらに、室町期においては、1漢語内の漢字間の読みにおいてのみにとどまらず、漢語とそれに続く和語ないし大和言葉である助詞との間にも連声が見られた。 例えば、
(略)
「念仏を」 → ねんぶっと (but + wo)
(略)
などであるが、これらは現在の日常会話には継承されておらず、能・狂言などの古典芸能や、ごく一部地域の方言にしか残されていない。

近世の江戸時代以降になると、末尾に置かれた歯茎内破音ないし無声歯茎舌音であった「t」は独立の音節「ツ」または「チ」で、末尾におかれた両唇鼻音「m」ないし歯茎鼻音「n」は撥音で発音されることが一般的になり、漢語の連声はほとんど見られなくなった。

ほうほう。
さて『教行信証』では、念という漢字に「ねむ」とフリガナがつけてある*2。ということは、当時の発音でいけば「念仏」が"nenbutsu"(ネンブツ)ではなく"nembut"(ネムブッ)だった可能性が高いのではないか。
nembut
どう見ても日本語には見えんなあ(笑)。

*1:このように母音を伴わず子音で終わる音節を閉音節というそうです。10/7追記。

*2:ちなみに佛のフリガナは「ぶち」である。