匂いと想い出

以前、宮台真司宮崎哲弥のM2対談だったと思うが「80年代といえば人工的で無臭化されたイメージがあるけど、今よりもずっと濃厚な匂いに満ちていたはずだ」という内容の発言があったと記憶している。ぼくはそれを読んでああなるほど、と思ったのだが、ぼくの記憶に残っている80年代の匂いというのは決して都会の匂いではなく、田舎の泥臭い匂いである。
小学生低学年までを大阪府下の田舎町で暮らした。集団登校の道すがら田んぼから漂ってくる稲穂の香りもあれば、道端に落ちている犬のウンコの匂いもあった。牛小屋の前を通れば、牛の体臭だかウンコだかよく分からないがものすごい悪臭に襲われた。いい匂いよりも、どちらかといえば「くさい」匂い、排泄物関係の匂いのほうが記憶に残っている気がする。学校のトイレはもちろんのこと、学校帰りの遊び場だった神社の便所もくさかった。住んでいる地区は汲み取り式の便所だったので、バキュームカーがやってくる日は家の廻りがメタン臭が蔓延した。とはいえ、当時はそうした匂いの数々を本気で嫌がっていたわけでもなく、まあそんなもんだろうと子供ながらに思っていたような気もする。いい匂いといえば、同級生の女の子が持っていたイチゴやレモンの匂いつき消しゴムくらいなものだ。
ホウ・シャオシェンの映画を見ていると、ああ、台湾の80年代も「匂い」に満ち満ちていたんだろうなと思う。この間、実際にぼくが訪れた台湾の街も日本以上に匂いのあふれる場所だった。個人経営の食堂なんかをやっている道筋を歩いていると、なんとなく生臭くて、懐かしいと形容するには日本人であるぼくの記憶とは少し違う匂いだった。そういえば5年ほど前に訪れたプサンの街も生臭かったけれど、あの匂いともまたちょっと違ったようだ。
そうそう、左営蓮池譚から在来線の左営駅まで歩いていたとき、地元のおっさんが道端に大きなドラム缶を置いて紙やらゴミやらを燃やしている光景を見た。非常に懐かしい光景だった。夏の暑い盛りということもあり、ドラム缶から湧き上がるもうもうとした熱気と焦げくさい匂いは、ぼくのノスタルジー感覚をストレートに直撃したのであった。