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『たまこラブストーリー』鑑賞雑記(その2)

はじめに

映画の公開から4回鑑賞しました。この鑑賞回数が多いのか少ないのかは分かりませんが、前回のエントリを書いたあとに見えてきたこと、放映版との関連性、音楽のことなど、気になった点を書いてみます。
自分の気になった点から制作意図を探ってみようとしましたが、まだまだ作品評とするには程遠い内容であり、例によってネタバレ全開で書いていますので、未見の方はご注意ください。

放映版との関連性について

映画における作品要素のうち、放映版と関連ありそうな点をピックアップしてみます(以下「〜話」とあるのは全て放映版の放送順です)。

バトンと紙コップ

言わずもがなのポイントかも知れませんが、記しておきます。
映画の序盤で、

  • 投げ上げたバトンがたまこの頭に落ちてくる
  • もち蔵の投げた糸電話の紙コップがたまこの額を直撃する

という場面が出てきますが、これは1話と2話の再現でもあります。

放映版の描写では、たまこに対して「運動神経が鈍い、ドジなキャラクター」の印象で終わってしまうところですが、映画ではそこに「キャッチできない」という点を共通項として「自分に対するもち蔵の思いをキャッチできない」という、たまこの設定が新たに追加されました。既存の描写・設定を活かしつつ、これまでと違った新たな意味合いを持たせる面白い演出ですね。

祖父・福が餅を喉につまらせるエピソード

もち蔵の挙動に注目です。
1話では「たまこが餅を喉につまらせた!」と思った(実はデラだった)もち蔵がとっさにたまこの方へと駆け寄ります。この描写は、たまこ達が救急車に同乗すると聞いて「俺も行きます!」と発言する映画版のシークエンスと対応しています。1話は映画よりもずっとコミカルな話の流れですが、似た趣向の描写だと思いました。
共通するのは「その場の勢い」です。

個人的には「放映版と違って、映画版のもち蔵はキリッとしている、男らしい」などとはあまり思っていなくて(まあ、映画のほうがシリアスな表情をみせていますが)、放映版と同じように「たまこに何かしなければいけない」と思うと、プレッシャーに押されてなかなか踏み出せないところが依然として見られます。その弱さを、自分の勇気で克服して乗り越えるだけではなく、その場その場の「勢い」で行動していくところが若さというか何というか。
また、もち蔵の「告白」を結果的に促す形になったみどりの発言も、みどりに促されたもち蔵の挙動も同じように、事前に考えていたものではなく「勢い」で出たものでしたね。若さは勢い。

たまこにお尻を触られるみどり

映画では「お尻餅」考案中のたまこからお尻を触られて赤面、動揺するみどりのシーンがあります。
2話の中に、教室でたまこに髪を触られて「はぁっ?」「何よ?」と慌てる描写が出てきました。このくだりは映画版と共通するところであり、みどりがたまこに友達以上の特別な感情を持っているゆえの動揺をさりげなく捉えている箇所だと思います。たまこに身体を触れられることは、みどりにとって(もしかすると、性的な意味合いを含んだ)心のざわつきを覚えるものかも知れませんが、そのことについて踏み込んだ描写はなく、みどり自身も多くを語りません。

みどりの話からちょっと逸れますが、映画では(デラの登場する短編ストーリーも含めて)おっぱいやお尻など、いくぶん性的なニュアンスを含んだ単語・モチーフが出てきました。それらが「性的」であると見るのは、劇中人物および鑑賞者の勘違いを狙ったユーモラスな演出によるものと考えられるかも知れません。しかし、みどりのお尻はどうなのでしょうか。そこに性的な意味合いの介在する余地がまったくないと言えるのでしょうか。軽く笑って流せばいい場面なのかも知れませんが、引っかかろうと思えばいくらでも引っかかれるところでもあります。

アオリアングルと空

前エントリでも少し触れましたが、たまこが不安や動揺を隠せない場面では、たまこを下から見上げるアオリのアングルがしばしば使われています。アオリアングルを取り入れる描写には「被写体人物を尊大に見せる」などの演出意図もあるようですが、本作では全然違った意図ですね。
12話を見てみると、商店街アーケードから飛び去る鳥をたまこが見送る場面でアオリが使われていました。これはデラがいなくなることによる不安を示す場面であり、たまこを下から見上げることで、心にぽっかり空いたような空を見せるわけです。11話に見られる夜の星空ではありませんが、空を広く見せることによって、寄る辺のない不安を表現してみせる趣向だろうと感じました。

映画においては、もち蔵に告白されてから家に戻るたまこの場面、もち蔵にばったり出くわした風呂屋から飛び出てきたたまこの場面が印象的でした。しかし、作品後半(マーチングフェスティバル終了あたり)ではタンポポの綿帽子(種)が上空に舞い上がる場面でアオリアングルが見られました。これは不安とは正反対の、将来の希望などポジティブなニュアンスの感じられるところですね。

レコード店「星とピエロ」

たまこが来店した際のマスターの反応について興味深い対比が見られました。

  • 1話:今までかけていたレコードを止めて別の曲を再生する
  • 映画:レコードを止める気配はなく、ずっと同じ曲が再生されている。

1話では、マスターがたまこの「思い出の曲探し」を手伝っているという背景があり、それが後の9話エピソードで解決した経緯を考えれば、それほど引っかかる場面ではないのですが、マスターがレコードを代えなかった理由は、それだけではないのです。
前に『たまこまーけっと』の劇中曲について書きましたが*1「星とピエロ」でよく流れているレコードはプログレッシブ・ロックです。およそ、たまこたちの世代にウケるタイプの音楽ではありません。
レコード以外にも「牛乳パック」が1話と映画の対比的な描写モチーフになっていますね。

  • 1話:コーヒーが苦いというたまこに、マスターが牛乳パックを差し出す
  • 映画:1話と同様に牛乳パックを差し出すものの、途中で引っ込めようとする

牛乳を入れないコーヒーとプログレッシブ・ロック、どちらも子供には取っ付きにくい大人の味わい、劇中では同じ意味合いなんです*2。マスターは「いつまでも、たまこを子供扱いするのは良くないかもな」とか、そういう思いがあって、態度を変えてみたのだと思います。

映画の後半、もち蔵がひとりで来店した際にはレコードを替えていますが、それは単に再生していた曲が終わったからです。また、店内に流れていた曲が、もち蔵が店を出てからの場面においても劇伴としてそのまま流されるところは、みどりの登場する2話のシークエンスと似た演出ですね。映画の中で流れてくる曲は、2話のフレンチポップス風とは違い、歪んだギターコードのサウンドが印象的なシューゲイザー風の曲調でしたが、言葉にならない人物の気持ちを音楽や情景に託しているようで印象的でした。

母親のこと

映画版の豆大の台詞によると、たまこは母親・ひなこの死後、ずっと休まずに店の手伝いをしていました。
母親が亡くなってから、自分を母親のポジションに置くことで自分の中にポッカリ空いた部分を埋めようとする心の働き(それは無意識なものだったと思います)は確実にあったことでしょう。このことは、たまこが母親と同じように、妹・あんこに対する呼称として「あんこ姫」を使っていた放映版の描写(2話、4話を参照ください)にもすでに見られました。

映画では、母親からたまこへの呼称として「たまこ姫」が出てきましたし、呼称のほか、母親が両手でたまこの頬を挟んでなでる仕草も放映版との対比として重要なポイントでしたね。
さて、映画でたまこの回想シーンを取り入れたのは何故だったのでしょうか。
上述の点からいろいろ考えてみたところ、

  • 今まで自分を母親のポジションに置くことで見えていなかった母親の姿をたまこに再認識させること
  • 自分と母親は別なんだという気付かせること

そんな制作上の意図があるように感じられます。
飛び石を渡る途中、たまこがもち蔵に声をかけられて思わず小石を川に落とす場面が非常に印象的でした。
映画に登場する小石は、たまこの回想からわかるように、母親を象徴するモチーフです。それを(不可抗力ではあるものの)たまこが手放してしまうのは、自分と母親の分離、一般的な意味合いとはいささか趣の異なるものの、たまこにとっての「親離れ」を表しているように見えました。

主題歌と糸電話

主題歌『恋の歌』に出てくる「この歌は、あなただけに聴いてほしい」という歌詞パートを聞いて、ふと山田尚子監督の前作『けいおん!』シリーズ、その中に登場する楽曲「天使にふれたよ!」のことを思い出しました。
それは、劇中曲を「誰から誰に宛てた」という形で、作品の中にしっかり位置づけているところが似ているなあと感じたからでしょう。『けいおん!』シリーズの『天使にふれたよ!』が卒業生から後輩に宛てて作られたように、豆大は不特定のファンやリスナー向けではなく、ひなこというただひとりの人物に宛てて歌を書いたわけです。ものすごくプライベートな性格を持った歌なんだということが感じられます。

しかし、映画における歌の役割は、それだけではないと思います。重要な劇中モチーフである糸電話とのリンクです。
映画のラストで、たまこが「もち蔵、大好き!」を糸電話で伝える行為、もち蔵だけに聞こえるように自分の言葉を伝える行為は、まさに歌詞の「あなただけに聴いてほしい」を劇中人物に体現させたものではないでしょうか。ラストシーンに続いて、エンディングにたまこ役の洲崎綾バージョンの『こいのうた』を使っているのは(いささかダメ押しのようでもありますが)作品のポリシーを明確に伝えようとする意図によるものでしょう。
たまこともち蔵が糸電話を使い始めた経緯については12話で語られているものの、高校生になってもまだ使い続けているのは、幼少期の面影を引きずっているような、やや子どもじみた行為に見えなくもありません。
しかし、主題歌の内容とリンクさせ、たまこがラストに持ち出してくることで、先に述べたバトンや紙コップと同じように、糸電話もまた、既存のモチーフを物語の流れに沿う形で捉え直されたのが見えてきました。

音楽のこと

従来の放映版で使われた音楽を新しくアレンジした箇所がいくつかありました。市販サウンドトラックの曲名で言うと「たのしいたまこ」「とーちゃんのおもち」「学校とスクールガール」など。
それら既発のサウンドトラック曲とは別に、映画で初めて使われている曲は、だいぶシリアスな印象のものが多かったです。中でも、もち蔵に告白されてからたまこが変調をきたしている場面で使われるスローテンポで三拍子のピアノ曲、自分では勝手に「エリック・サティ風」と呼んでいますが、穏やかながらどこか物憂げで、初回鑑賞時に感じた重たいものの正体はたぶんこの音楽なんだろうと思います。途中で音楽のないパートを挟んで再び曲が流れてくる趣向も、なかなか調子の回復しないたまこの描写と相まってじわじわと効いていますね。

サティ『嫌らしい気取り屋の3つの高雅なワルツ(3 Valses du precieux degoute)』から、2曲目の「彼の眼鏡(Son binocle)」。サティの三拍子曲といえばジムノペディが有名ですが、『たまこラブストーリー』の劇伴とはちょっと雰囲気が違うような気もします。
たまこがもち蔵に告白されて動揺する場面に使われているストリングスやアコーディオン主体の曲は、Yann Tiersenの雰囲気に似ているかもしれません。

Yann Tiersenといえば映画『アメリ』の音楽で有名ですが、もうずいぶん前に見たきりなので。もしかしたら『たまこラブストーリー』との共通する何かがあるのかと思いつつも、確証のあることは言えません(ごめんなさい)。

*1:http://d.hatena.ne.jp/beaux25/20130314/1363268504

*2:大人にとってもプログレはとっつきにくいよ!と言われるかも知れませんが、あくまで劇中設定の話なのでご容赦ください。