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『たまこまーけっと』7〜9話の感想

たまこまーけっと』を3話ごとにレビューしてみる企画(?)の3回目です。今回は、7〜9話のうち9話の話が多めになっています。

まず9話について

9話は伏線回収的なエピソードでした。いや、伏線といっていいのかどうか判断が難しいところもありますが、とりあえず8話までの描写とリンクスしそうな要素、気になった点を以下にリストアップしておきます。

  • ひなこ(たまこの母)の「思い出の歌」:1話で提示されていたテーマ(たまこには何の歌か分からなかった)。父・豆大がひなこのために作った曲だと判明する。
  • ユズキ君:4話に登場したあんこのクラスメイト。彼が引っ越すタイミングであんこが思いを伝えることができた(恋愛レベルには踏み込んでいないけれど)
  • もち蔵の誕生日:10月10日は「おもちの日」であるため家業が忙しく、周囲から祝ってもらいにくい境遇。大晦日が誕生日であるたまこ(1話で言及)との比較、2人の相互関係にも注目したい。
  • 自宅のレコードプレイヤー:7話でチョイが寝ていた部屋にあるレコードプレイヤーは、ひなこの持ち物だったかと思いきや、かつて豆大が愛用していたものと思われる(9話終盤の回想カットより推察)。また、レコードプレイヤーは1話時点から母親やレコード店マスターとの関連を感じさせるモチーフでもある。
  • 母に供える花(一輪挿し):1話から花屋がたまこに花を手渡す描写あり。8話では鏡台に花が添えられているカットあり。母親に関する言及は9話が始めて。
  • 糸電話:もち蔵の投げた紙コップがたまこの額を直撃するくだりは2話と同じ。もち蔵からたまこへのアプローチはうまくいかないとの示唆か。
  • もちに関係する名前について:自分の名前と好きな相手との関係性(5話のもち蔵)。もち蔵の言動とは異なるが、あんこと豆大に類似した描写が出てくる(9話)。

9話で「思い出の歌」などの伏線回収をやったのは、おそらく次回以降、別のテーマ(王子のお妃探しほか)に集中するためのストーリーの整理が目的であろうと思います。とりあえず1クールの3分の2を経過した所でひと区切り、といったところでしょうか。

デラについて

チョイが登場した7話以降は(鳥占い、通信機能復旧などの目的から)スパルタ式にしごかれ、8話ではたまこまでがチョイに加担し、デラ自身も結局その流れに乗る形で自主トレまで敢行しています。9話に入ると、たまこの家で湯の入ったヤカンを台所に取りに行かされたり、買い物を頼まれたりと、6話までの自由気ままさとは対照的な「パシリ」に成り果ててしまいました。
ところで、デラは人間の年齢でいうと何歳くらいなのでしょうか。個人的な印象ですが、まさかたまこ達と同年代とは思えないし、「娘よ」などの口調から40代くらいの中年ではないかと勝手に思っています。
これまでを振り返ってみると、デラは、曲がりなりにも周囲の人間関係構築に一役買っています。それなのにどういうわけか顧みられることがほとんどなく、畜生に生まれたゆえか、はたまた醜悪な容貌であるが故か、自分の娘くらいの世代にいじられたりパシリにされたり、自由な行動(恋も)ままならない哀れなおっさんでしかなく、そう思うと気の毒に思えてきます*1。さて、彼自身には「春」が来るのでしょうか(それは朝霧さんのペットショップで解決すべき問題?)。

チョイについて

王家に仕える占い師であり、デラを占いの道具として使っているため、デラに対しては常に厳しい態度で接しています。また、容姿・言動ともに、けいおん1期に登場した時点の中野梓を彷彿させるキャラクターですが、チョイがつらく当たる相手はデラだけなので、その点ではちょっと梓よりもキツい印象が強くなっていますね、今のところ。
それはそうとして、たまこ達の高校に着ていく制服の話題や、私服のおしゃれの話題になると、やや顔を赤らめる描写が出てきます。
たぶん、彼女が生まれ育った島では同年代の子たちと一緒に学校に行ったり勉強したり遊んだり、そういう経験は今までなかったのでしょう。今後、チョイがデラと同じように周囲の心地よさによって自分のミッションを忘れてしまうのかどうか、注目のポイントですね。

「星とピエロ」マスターについて

このお方も気になるので、引き続きフォローします。

  • 7話:登場なし(たまこが「波の音が入ったレコード」を貸してもらったとの言及あり)
  • 8話:セリフなし。たまこ達の来店中にバッハ「トッカータとフーガ」を流す、1人でいる時にベートーヴェン交響曲第5番」を流す(既成曲、しかもクラシック曲を流すのは初めて)。
  • 9話:いつもより口数が多く、かつて豆大と自分が在籍していたバンド「ダイナマイトビーンズ」の演奏ビデオをたまこ達に見せる。恥ずかしがる豆大から「邦夫さん!余計なことしゃべんないでくださいよ!」と突っ込まれる。

9話を見て「えっ、マスターが普通に喋ってる・・・!」と驚いた方が多いかも知れません。いや、ぼくも驚いたのには違いありませんが、上記の7話の描写を見ていると、ちゃんとたまことコミュニケーションがとれていることの察しは付きます。もともと口数が少ない人物ではあるものの、対人コミュニケーションにおいて特に難があるわけではないのでしょう。これまで誰かと面と向かって会話する場面が出てこなかったのは、彼が無口だからだけでなく「喋る場面をあえて見せないように演出した」という意図ゆえかも知れません。
このマスターについては、親の遺産で食っている、一度は上京したもののトラブルを抱えて戻ってきた、商店街の人たちからシカトされている等々、まあいろいろとネガティブな方面で想像していたのですが、ぼくが予想したほどには屈折した経緯を持つ人物として設定されていないようにも思います。

出会いと別れ

1話でデラ、7話でチョイがそれぞれ商店街エリアにやってきました。彼らが知らず知らずのうちに商店街の人々が醸す心地よさに魅了され、このまま離れられなくなってしまう展開の可能性もあろうかと思います。
しかし、物語には「出会い」がある一方で「別れ」の描写もあります。7話のさゆりさん(風呂屋の娘)、9話のユズキ君ですね。
もしかすると、作品終盤においてもっと大きな「別れ」の場面(つまりメインキャラが大きく関係してくる「別れ」の場面)を用意していて、7話や9話はその前触れではないのか、という予感もしています。
ただ、7話の描写を見ていると「別れ」に伴う寂しさや悲しさをことさら強調する演出にはならないだろう(希望的観測ですが)とも思います。人物各々のレベルでは寂しい悲しいの感情はあるとしても、作品全体をそうしたトーンで染めてしまわない、というか。
ここでちょっと脱線しますが、先日、小津安二郎監督の映画『晩春』をDVD鑑賞してみたところ、作品のラスト近くで、結婚して家を出て行くヒロインの父親が林檎の皮を剥く静かなシークエンス、ことさら感情を掻き立てない演出が『たまこまーけっと』7話のテイストと似ているなあと感じました。
けいおんシリーズについて「ローアングルで固定ショットの多い構図は、思いがけず小津映画を彷彿させもする」との言及がありますけれど*2カメラワークだけでなく、人物描写やメンタリティの部分でも山田尚子さんの監督作品と小津作品には通ずるものがありそうな気がしています(小津作品は『東京日記』『麦秋』『晩春』*3の3本しか見ていませんが)。

エンディング省略の趣向について

9話は、いつものテーマ曲「ねぐせ」が流れるエンディングではありませんでした。通常のエンディングを取らないのは尺の都合(本編のエピソードがいつもの時間帯に収まらなかった)でしょうね。
それに加えて、毎回Aパート開始から少し経って挟まれる「サブタイトルの読み上げ」も9話にはありませんでした。山田尚子監督の前作であるけいおんシリーズにおいては一度もこういうことがなかったので、9話はかなり異例のことではないかと思います。
どうしてこういう趣向を採ったのか、原因は判りませんが、おそらく9話は作品の中で大きな節目だという印象付けの意図はあったかなと思います。節目とは、前述した「過去エピソードとのつながり」であるほか、作品終了後に振り返って「ああ、やっぱり9話はターニングポイントだったな、大きな意味を持っていたな」と分かるものかも知れません。
あと、エンディングについてですが、単に通常の尺に収まり切らなかった本編エピソードを流すだけでなく、ダイナマイトビーンズの曲にしっかりとエンディングテーマの役割を担わせているんですよね。また、作品の中で鳴らされていた(劇中人物に聞こえていた)音楽がそのまま作品の背景音楽にもなっている演出はけいおん1期9話や2期26話にも窺えるものであり、非常に好感の持てるところでした。

もうすこし音楽について

豆大が部屋でひとりギターを爪弾くくだり、あれは「一人の時間を過ごしたい」というよりも「妻と二人の語らう時間をとりたい」という気持ちの現われなんじゃないかと思います。元々ひなこに宛てて作った曲なのだけど、一方的に自分の気持ちを伝えるための曲だったのが、今ではギターを弾いて歌うことで彼女と相互にコミュニケーションがとれている。豆大はそんな気持ちを持っているんじゃないでしょうか。物語として見れば、たまこが彼を部屋から引っぱり出さないことには先に進まないし面白くならないのは確かだけど、彼にとっては「妻と語らう時間」を邪魔されたという点でいささか不本意な展開だったかも知れません。
山田尚子さんは以前に「みんなとしゃべるための1個のツールとしての音楽」という表現をしています*4。これはけいおんシリーズについての言及でしたが、この『たまこまーけっと』においても劇中で音楽を扱う場面では変わらない姿勢をとっていると思います。言葉でなく音楽を使っての語りを試みるマスターさんはその端的な例ですね。

最後に

冒頭でふれたように9話は「伏線回収回」であり、作品の最終回辺りで明らかにされると思っていた「母親の思い出の歌問題」があっさり解決してしまったのには少しビックリしましたが、たまこの母親に関するエピソードはここでひと区切りでしょう。ひなこが亡くなっていることは雑誌等のインタビュー*5で触れられていますが、作品の中で突っ込んで言及されることは今後もなさそうに思います。
前述のように、9話はエンディングを省くほどのエピソードてんこ盛りでしたが、制作サイドとしては、最終話付近に要素を詰め込んでせわしない幕引きにしたくない故の配慮が働いたのかも知れません。個人的には前シーズンの『中二病でも恋がしたい!』では終盤のせわしなさにやや不満を覚えたので、本作品では余裕をもってゆったりと心地の良い終幕を迎えられることを期待しています。

晩春 [DVD]

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*1:ふと、最近読んだ太宰治版のカチカチ山(お伽草紙http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/307_14909.html)に出てくる中年男の狸がオーバーラップしたのですが、デラを中年狸に見立てるならば、相対する彼女たちの属性はズバリうさぎですよ(なにしろ街の名前が「うさぎ山」ですから)。そのうちデラは、うさぎの着ぐるみ姿のかんなに櫂でバシバシ殴られて泥船ごと海に沈められるんじゃないかと勝手に想像しています。

*2:キネマ旬報」2011年12月上旬号。

*3:鑑賞中は気づきませんでしたが『晩春』では作品終盤まで「母の不在」に言及しないとの指摘を見つけましたので紹介します。これも『たまこまーけっと』と共通性を感じさせる点です。→晩春 〜映画の読解 (5) - 映画なんて大嫌い!

*4:「CUT」2010年8月号のインタビュー。

*5:「オトナANIMEDIA」Vol.7 吉田玲子さんへのインタビューなど。