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『氷菓』5話について。

以下、メモ的に。

薔薇色とは?

  • アバンにて、里志「ホータローは薔薇色が羨ましかったのかい?」
  • 4話で里志は薔薇色属性を自称していた。ここだけ見れば、薔薇色とはリア充的なニュアンスかと思えるが、さにあらず。
  • Aパートにて、ホータローが薔薇色で連想するのは、千反田える、その叔父・関谷純だったり。両者とも高校生活において何かしらに熱くコミットする傾向をもつ者、かもしれないが、今回の終盤で後者については否定される。
  • Bパートにて、ホータローが糸魚川先生に「関谷純は・・・薔薇色の高校生活に殉じて学校を去ったんですか」と語るくだり、原作では心の声扱いのところをアニメではダイレクトな問いかけのセリフにしている。
  • ホータローと里志の間でしか通じない用語と思っていた薔薇色・・・もしや古典部に所属した者ならパッと理解できるタームなのかどうか。もっとも、原作の冒頭からして「高校生活といえば薔薇色」だし、この作品世界においては普遍的な価値観なのかも知れない。

10年後

  • Aパート、姉からの手紙文「きっと10年後、この毎日のことを惜しまない」を反復するホータローの感慨「25歳の俺は10年後をどう振り返っているのだろう」
  • Bパート終盤では、千反田さんの口から「確かに10年後の私は気にしないのかもしれません。でも、今感じた私の気持ち、それが将来どうでも良くなってるかもなんて・・・今は思いたくないんです」と語られる。これはアニメ独自の演出。
  • 両者に直接の関連はないが、不思議なシンクロニシティが起こっている。千反田さんの発言から伺えるのは「気になるものは今のうちに突き止めておきたい」というスタンス。
  • 思うに、千反田さんは自分の中でしっかり意思を固めた上で対象にコミットするが、ホータローは無意識にというか気がついたらコミットしていた的な傾向がありそう。

珍しくホータローが動揺している

  • Aパート、姉に関谷純のことを訪ねようとして電話を切られ「このくそ姉貴!」と受話器を叩きつけるように置く。
  • Bパート、文集タイトル「氷菓」の由来について、誰もがアイハブノーアイデアな状況、湯飲み茶碗の水面が揺らぎ、足元が震えている、ホータローの静かな憤りを表している。原作では以下の記述。

俺は腹を立てない性分だ、疲れるから。だが俺はいま苛立ちを感じた。関谷純のメッセージを、誰も受け取れなかったというのか。この、下らないメッセージを、受け取るべき俺たちが受け取っていない。そこに俺は腹が立った。
氷菓』文庫版202ページより

  • この、ホータローの怒りについても「気がついたらコミットしていた」ことを表しているのではないか。

文字演出

  • 文集2号から「犠牲」の文字が浮き上がる。
  • 糸魚川養子と郡山養子のつながりを表す演出。
  • 里志の推測、関谷純の名前からカンヤ祭の俗称が生まれたことへの言及。
  • 千反田さんの心象風景にて「叫」の文字が無数に発生してちびえるを覆い尽くす。
  • 2番目は解説的な演出と納得できるけど、それ以外はなくてもよかったような・・・。

回想演出

  • Bパート、高校時代の糸魚川先生が学内の騒動に触れるくだり。本人と背景を別レイヤーで表現するところは3話と似ている。
  • 高校時代の糸魚川先生は、眉毛が太くてどことなくムギちゃんぽい。
  • 千反田さんの回想にも関谷純は出てくるが、具体的な顔かたちや声は伏せられている。
  • まあ、他の回想シークエンスでも声が出てくることはなかったと思うけど。

今週の摩耶花

  • Aパート、部室にて座りながら足をバタバタさせる、机に突っ伏す。
  • Bパート、図書室にてホータローたちの会話と同時進行で返却本を片付ける。
  • 同じくBパート、ガッツポーズをとる里志の脇を肘で突っつく。
  • 台割に感心する千反田さんに「まあ・・・それはいいじゃん」のりアクションが何故かりっちゃんぽい。
  • 話の本筋と関係ないところでも細かい動きを見せるのが摩耶花の特徴。これが可愛いので毎週楽しみ。

その他

  • 関谷純の退学騒ぎについて、ホータローの姉や糸魚川先生がどこまで知っていたのか疑問が残る。もしかしたら全部知っていたのかも知れず、前者はホータローを試すために(もっともホータローは最後に否定する)仕掛けたか、後者は立場的に触れたくないのかも知れない。
  • 原作の「弓道場」をカットしたのは、1話で既に描写したためか。
  • オープニング、エンディングともに曲カットでした。

追記

  • 糸魚川先生の回想第2シーンを再見しました。高校時代の郡山養子が物陰から事の成り行きを見守るカット、最後の方ではレイヤーを超えて関谷に接しそうになる(しかし関谷は去っていく)。このあたりは上手いなあ。関谷に近い立場にありながら何もできなかった悔恨もうかがえる。そのあたりから、関谷を安易に偶像化する流れでの「カンヤ祭」というネーミングに古典部関係者が違和感を覚える経緯も納得できる。
  • もし千反田さんが関谷純の遺志を継ぐとすれば、どんな局面においても臆せず「私、気になります!」を言い続けることだろうか。それが関谷の言う「悲鳴を上げる」であり、文集タイトルが意味する「I scream」にリンクするのではないかと推測。