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映画『けいおん!』における「気付き」について。

先日、東京にて12回目の鑑賞をしながら、ふと頭の端に浮かんだのが「気付き」というキーワード。このキーワードが本作品においてどれほどの意味を持つのか。まずは、劇中描写をピックアップすることで検証したいと思います。

キャラクターたちの「気付き」

劇中ではキャラクターたちが「ちょっとしたことに気付かない」描写がそこかしこに出てきます。

  • 自分のスーツケースがベルトコンベアーの脇に置かれていることに気付かなかった(澪)
  • タクシーの開閉ドアの位置に気付かない(唯)
  • タクシーの後ろ向き座席にシートベルトがないことに気付かない(唯)
  • カバンにしまったはずのカメラの在処に気付かない(唯)
  • 店から出た後も寿司屋の法被を着ていることに気付かない(唯)
  • 寿司屋の前で遭遇したラブ・クライシス(=友達)に気付かない(律)
  • 寿司屋の入り口にラブ・クライシスの告知ポスターが張ってあることに気付かなかった(全員)
  • 父親から変圧器を渡されたことに気付かなかった(唯)
  • ホテルにかかってきた電話が山中先生からだと気付かなかった(全員)
  • 教室ライブの提案を持ちかけた際、山中先生が堀込先生の姿におびえていることに気付かない(上級生4人)

やはりというべきか、唯のおっちょこちょいな性格を反映した箇所が目につきます。これを単にユーモラスな描写と受け取ってもいいけれど、彼女たちが「すぐそばにある物」や「親しい人からのサイン・メッセージ」を逃している箇所も多いことに注目したいですね。
また、これらと別に「今まで気付かなかったことにやっと気付いた」場面もあります。物語の肝になるところですが。

  • 卒業旅行前の部室。梓のギターが倒れてきたことで、梓へのプレゼントは「曲だ!」と気付く。同時に、憂が「梓は軽音部と軽音部の音楽が大好き」と語っていたことを思い出す(唯)
  • ヒースロー空港へむかう車中。わざわざ歌詞を英訳せずいつも通り日本語で歌ってよかったことにやっと気付いた(唯)
  • 卒業式の後。屋上で鳥を見かけたことで「梓が自分たちにとっての『天使』だった」と気付いた(唯)
  • ラストシーン。作品冒頭で「デスデビルごっこ」に使った曲が、山中先生の高校生時代に「後輩へのプレゼント」だったことが明らかになる(もっとも、これは「気付いた」よりむしろ「知った」のほうが適当かも知れませんが)

ところで、このような「今まで気付かなかったことにやっと気付いた」という視点は、TV版でも既に登場していますね。

ゴメン今は気付いたよ 当たり前じゃないことに 
まずはキミに伝えなくちゃ 「ありがとう」を
U&I」2コーラス目サビ後半の歌詞を引用

もともとは妹に宛てて作ったこの歌を、後輩向けに読み替えた形で映画版に再現させたのには意味があると思います。つまり「親しい人からの好意やメッセージに今まで気付かなかった」ことは往々にしてあること、見方を変えれば「すぐそばにいる人から発せられるサインやメッセージこそが意外と気付きにくい」と解釈することも可能でしょう。この歌のパフォーマンスが作品終盤に印象深く描かれている点を考えると、劇中に多くの「気付かない」や「気付いた」が配置されていることにも、何らかの意味があるのではないでしょうか。

私たちの「気付き」

今まで挙げた登場人物視点の「気付き」とは別に、私たち観客視点での「気付き」も重要なポイントであると思います。
ご承知のとおり、この映画「けいおん!」は、背景描写、キャラクターの挙動、TV版との関連づけなど、ディテールにものすごく凝った演出をしています。一度通して鑑賞しただけでは見過ごしてしまう、何度も繰り返し、それも非常に注意を払った上で見てみないと気付けない描写が少なくありません。また、自分自身で気付いた点だけでなく、他の人からの指摘で「あっそうだったのか・・・なんで今まで気付かなかったんだろう」と驚いたり嘆息させられる点もいろいろとありました*1
描写・演出のひとつひとつをとってみれば、一過性のネタあるいはトリビア的なもののように見えるかも知れませんが、作品鑑賞によってもたらされる私たちの小さな「気付き」体験、それらを通して、登場人物たちの「気付き」や、そこから彼女たちの感じる「喜び」に共感できる余地があったのではないか、そんな風に感じています。
後付けの結論かも知れませんが、なぜ自分がこの作品を繰り返し鑑賞してきたのかと言えば、単に作品の楽しさに浸っていたかったからだけでなく、数々の「気付き」が「喜び」となって返ってくる、それを暗に期待していたからではないかと思っています。もっとも、こうした体験は他作品の鑑賞についても言えることでしょうけれど、数々の「気付かない」が「気付いた」に転換されるプロセスは必ずしも「失敗」のような苦い経験ではない、むしろ喜びをもたらすのだと、そんなテイストを「けいおん!」の物語の中に感じていた部分も、要因として大きいと思います。
蛇足になりますが、本作品では描写のひとつひとつが単に綺麗だ、面白い、というだけでないんですね。時として描写が言葉以上の説得力を持っています。たとえば、終盤で3年生4人が屋上を駆けるシークエンス、これは2期26話の「校内ダッシュ」と並んでマイベストのくだりなんですが、言葉(セリフ)に頼るのではなく描写の力で何かを語ろうとしている演出姿勢が好きですね。

*1:超記憶術ブログ@K-ON!! 【映画読解】TVシリーズとの(簡単な)すり合わせ<注ネタバレ>ではTVとの関連が数多く言及されています。他エントリーでも劇中描写への深い考察が多いので興味のある方はどうぞ。