ベースがどうとか。

先日、アリア・シンソニードのフレットレスベースを購入した。フレットレスといえば、スタインバーガーのSynapseブランドでも売られているようだが値段がシンソニードの倍くらいするので、おいそれと初心者の自分は手が出ず、買って後悔しそうな気が濃厚だったのでやんぺ。

ところで私が最初に手を出した弦楽器はギターでなくベースだった、そう信じたい。あれは中学3年、親に楽器を買ってくれとなかなか言い出せず、自宅にあった木材を切ったり釘で打ったりして何とかギター状の何かしらを組み立ててみた。糸巻きやブリッジも完全に手製である(自慢するほどのものでもないが)。
ギターの入門書を参考にして調弦するところまでこぎつけたのだが、田舎中学生の悲しさよ、既存のギター弦を買うという発想に至らず近所の雑貨屋で買ったナイロンの釣り糸を張ることにした。もちろん釣り糸は弾いて音を出すために作られたものではない、いちどチューニングを合わせた弦はほどなく緩んで音程が下がる、音を戻そうと糸巻きをキリキリ巻き上げるとあっけなく切れる。
結局、ギターのように6本の弦を張ることができず、4本張るのがやっとだったので「これはギターじゃなくてベースだ!」と自分に言い聞かせたというのが実情だった、もちろんネックにフレットを打ち込む技術などあろうはずもないので結果論としてのフレットレスベース完成である。
高校に入ってから何とか親を説得してちゃんとした既製ギターを手に入れてしまうと、この自作ベースは部屋に捨て置かれたままになった。それから約10年後に自宅が転居する際に、おそらく粗大ゴミとして廃棄されたものと思われる。思われる、というのは自分がその場に立ち会っていないからだ、どうでもいい話だったのだ。
今日に至るまで購入したギターやベース類は10本くらい、そのうち何本かは自室が手狭になったなどと理由をつけて廃棄処分している。捨てる寸前に写真を撮って残すようにしているのだが、あの自作フレットレスベースだけは写真がない。撮っておいたからどうという話でもないのだが、いささか残念でもある。そんな悔恨の残滓が私をシンソニード購入に向かわせたに違いない、とんでもないこじつけである。