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『魔法少女まどか☆マギカ』第11〜12話を見た。

第10話では、ほむらが独自のトライアル&エラー作戦によってきゅうべえの提示する魔法世界のシステムロジックを書き換えようとする流れが見られました。この展開は個人的に脱帽させられるものでしたが、このトライアル&エラーの繰り返しが、まどかの魔法ポテンシャル(将来的には魔女となってもたらす災厄)をどんどん蓄積していく副作用を生み出してしまいました。
しかし、ほむらにはまだ魔女を打破する道が見えない。その一方でメタ時間軸の中では副作用だけが増大していくジリ貧な展開。さてどうする・・・というのが第11話のプロローグでした。もう、こうなると後はまどかに頑張ってもらうしかなくなるんですが、はたして「魔法少女としてのまどか」が採ったのは、ほむらのトライアル&エラー作戦の意図を完全に理解した上で、さらにその上を行く作戦。すべての魔女を生まれる前に消し去る、つまり「魔法世界のシステムロジック」を遡及的に全てご破算にしてしまう作戦でした。
ここまでくればもう「言ったもん勝ち」というか後出しジャンケン上等な印象ですが、きゅうべえからして後出しジャンケン的な狡猾さで少女たちを誘導してきたわけですから、おあいこですね。
ともあれ、すべての魔女を消滅させ、すべての魔法少女を蘇生させた対価として、まどかは姿の見えない「概念」となりました。これはつまり主人公の「ヒロイックな自己犠牲」であり、いつぞや見た『マトリックス・レボリューションズ』の印象もちらちらと頭をよぎったりするんですが、第12話中盤で微妙に感じられる何やら宗教的なテイストと相まって「感動的かも知れんけど、こんな締め方でええんかいな」という割り切れなさも残りました。たえず視聴者の期待を裏切った展開を見せてくれるところがこの作品の面白さでもあったわけで。
でも、ここで話は終わらないわけで。
魔法少女は、やはり魔法少女のままなわけで。
ほむらは、これまで通り魔法少女として、今度は魔女ならぬ魔獣を相手に戦いを挑むライフを続けていきます。魔女が魔獣になっただけで、この世界はちっとも好転しないのか、まどかの「犠牲」は無駄に終わってしまったのか、と腑に落ちない展開ではありますね。この結末を自分自身でどう納得すれば良いのか困ってしまいました。
ぼくが思ったのは、これは「神の世界」と「人間の世界」の棲み分けを表しているんじゃないかということです。
因果律、作用と反作用、ギブアンドテイク・・・そういった人間世界の法則を超越した力、まどかが解き放つ「無償の愛」や「恩寵」の源たる「神の世界」はあるかも知れない。ただ、それを誰もが認識できるか?という問題もあるし、もし「無償の愛」とやらが本当に有効なら、何故ぼくらは「人間の世界」で日々苦労しながら生きていかなければならないのか、戦争・犯罪・貧困・その他諸々の心配事の災厄から逃れることができないのか、そういう疑問にもぶつかります。
おそらく、こうした疑問はいつまで経っても解決できないでしょう。第12話の終盤が提示したのは、そういうぼくらの現状に他ならないのではないかと思います。
残念ながら「神の世界」と「人間の世界」は分離されている。神の恩寵は人間に届かず、人間の訴えは神に届かない。しかし、完全に分離されてお互いにアクセス不能とは言えない。アクセスできるのは、ほむらのような特別な境遇にいる者だけかといえばそうとも言えない。かつての家族(鹿目家)が出てくるシークエンスに見られるように、何かしら、縁に触れて・・・ということはあるのかも知れない。そんなかすかな希望を感じるところもありました。