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魔法少女まどか☆マギカ(今回の震災諸々にリンクさせて思うことなど)

今年の1月からTwitterのタイムラインをちらちら眺めていると、何やらえらい人気のアニメらしいなと気にはなっていたものの、ついつい見逃してしまい、ニコニコ動画の有料コンテンツとして実際に鑑賞したのはここ数日のこと。いやあ、見事にハマりましたね。
今のところ、震災の影響やらなんやらで第10話から先の流れが止まっていますが、それはそうとしても、この作品を見ていると今回の震災にまつわる色々なことが脳裏をよぎり、いつのまにか両者をリンクして考えるようになっています。ただ、ぼくは関西在住ということもあり、震災の直接的な被害は受けておらず、各種報道やTwitterでの発言を通して感じた傍観者的な感慨しか持っていないのですが。
震災から1週間くらいは、Twitter上で性急な善意の行動をたしなめる発言をよく見かけました。いわく、受け入れ先の定まっていない状況でのボランティアや物資救援は混乱を招く、一時に大量の献血をされても血液の保存期間は限られている等々。
マミやさやかを見れば分かるように「まどマギ」においても、性急な善意の発動はしばしば命取りになってしまいます。なぜなら、自分の善意がダイレクトに「人助け」という結果をもたらすほど、世の中はシンプルにできていないから、そのことを理解せずに行動を起こせば高い確率で足元を見誤ってしまうからです。
ところで、今回の震災より前からボランティアや募金活動などの「善意」行動に対しては、やれ自己満足だ、やれ自分探しだと、冷笑的な意見を目にすることはしばしばありました。ぼく自身の数少ない経験からして、これらの行動にそういう側面があることは否定しません。
作品に出てくる女の子たちが「魔法少女」として人助けをする行為もまた、自己満足を求める心の発露かといえば、確かにそう。でも、自己満足が悪いことかといえばそうではないし、問題はそこから先。個々がどういう行動をとるかなんですよね。自分のツイートを引用させていただくと、

これがそれぞれ誰の行動を指し示しているかは言わずもがなでしょう。
ここまでは第5話あたりまでの雑感でして、その後の展開は、個々の自己満足とか自意識をめぐる話にとどまらないんですね、だって魔法少女たちは自分の生命たるソウルジェムを生きながらえさせるため、常にグリーフシードを求めて魔女と戦い続けなければならない過酷な自転車操業に追われていることが判明するのですから。2〜3年前ならさぞかし「ワーキングプア」とリンクさせる評も多かっただろうと思います。ともあれ、物語の後半から、あの愛くるしいきゅうべえが悪役としての顔をあらわにしていきます。
ただ、きゅうべえを単純に「悪役」としてしまうことには躊躇を覚えました。これは第8話まで見たところでの雑感。下のツイートも。システム云々と書いたのは、なぜかしら村上春樹さんが2年前にエルサレムで行った講演のことが頭をよぎったからなんですが、きゅうべえの場合は「システムそのもの」というよりは「システムの中で可視化された一部分」というほうが適当かも知れません。おそらく彼は一介の契約仲介者にすぎず、仕事の中で見聞きしたことを得意げに吹聴して回るだけの小物ではないかと思います。
華奢な体格の少女たちが邪悪な「システム」と孤軍奮闘するシークエンスは確かに見せ場ではあり、涙を誘うところでもありますが、ここで単純に「個々の人間とシステムの関係性」を善悪の二項対立みたく受け取ってしまうのはナイーブすぎるかという思いもあります。現に我々は「システム」に寄りかかって日々生きているわけで・・・という意味のことは東浩紀さんあたりがどこかで言っていたように覚えているのですが記憶が曖昧。
個人的には、魔法少女たちに勝ち目があるとすれば、きゅうべえの提示する「システム」を超える世界を見出せた時ではないか・・・という思いもあったりしたのですが、第10話はその予想を上回る展開でした。
眼鏡をかけたほむらは「メガほむ」というらしいですが、ともあれ彼女がやった功績は「システム内プログラムの書き換え」なんですね。自分はきゅうべえとの契約どおり魔法少女として行動する、しかしその契約によって導かれる悲劇的結末・・・に至る道のりへの「不可逆性」というロジック部分はしっかりと自分の都合の良いように改変しちゃったおかげで、彼女は満足な結果を出せるまで何度でもトライアル&エラーを繰り返せるわけです。この展開には脱帽しました。
このところ、震災以降の対応が拙劣だったとか、今まで「安全神話」で国民をだまくらかしていたとかで、政府や東電が叩かれまくっていますし、原子力発電そのものに対する不信感もこれまでになく高くなっているようですが、素人考えでは、今後のエネルギー政策を考える上で「原発のある便利な生活」と「原発のない不便な生活」という二項対立的見方はおかしいんじゃないかと思っています。電力会社サイドによる前者の主張が説得力を失いつつあるのはさておくとして、反原発の人たちが後者のスタンスをとるのは戦略的にありえない。今の私たちが電力に依存しまくった「システム」に巣くって生きている以上、それを単純に否定する(既存システムの外を目指す)のは欺瞞でしょう。
電力消費を我慢するには限界があり、環境負荷の少ない再生可能エネルギーへの転換も一足飛びには無理、そうであるなら「システムへの依存」は継続しつつ「システムの内身=プログラム」を少しずつマシな方向へ書き換えていくしかないと思います。ぼくらは「メガほむ」のしたたかさに学ぶべきでしょう(今後の展開がどうなるかわからないけど)。