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『ハーバード白熱教室』の第3回を見た。

今回はリバタリアニズムがメインテーマ。

前半:課税に正義はあるか。

サンデル教授によるリバタリアニズムの概要説明。

  1. 干渉主義的な立法の否定(例:シートベルトを締めることを強制するな)
  2. 道徳的な立法の否定(例:国家が同性愛を禁止するな)
  3. 富者から貧者への所得の再分配の否定(例:課税は国防やインフラ維持などの最小限に留めるべし)

講義前半で焦点となったのは課税。リバタリアンは「所得再分配」としての課税は「盗み」であり、所得を奪われる労働は「強制労働」であり、そのように働かせられるのは「奴隷」だとする。自分で自分を所有すべきと考えるリバタリアンにとっては、道徳概念の否定になる。
さて、こうしたリバタリアンのロジックを論破できるか?というのが講義後半のポイント。

後半:私を所有しているのは誰?

講義会場では、リバタリアン派の学生3人とそれに批判的な学生たちとの間でちょっとした討議が交わされる。批判派の学生からは「民主主義社会における課税は、統治されている者の同意を得た上でのものであるから強制ではない」との意見が出た。税率を下げろというなら選挙や政治活動といった民主主義のプロセスをとおして訴える方法があるではないか、という反論。
リバタリアン的な考え方に馴染みの薄い日本人のぼくからすれば「確かに、民主主義のプロセスがあるならそれでいいじゃないか」と手を打ちたくなるところだけど、そこらへんが建国当初から「自由」を標榜していたアメリカ人との違いかも知れない。サンデル教授が紹介したジョン・ロックの思想も「知識」として吸収しているだけだし。
あと、所得の再分配などに関わる「経済的な自由」と、同性愛や宗教の問題に関わる「社会的な自由」とをどう考えるか、両者を分けて考えるべきかどうか、という点も興味深い。この講義とは別になるが、上記の「2つの自由」をどう捉えるかを図式化する試みが「ポリティカルコンパス」として紹介されている。
日本版ポリティカルコンパス(ドラフト3)
試してみたところ、ぼくは予想通りというべきか「リベラル左派」になりました(ガチなリバタリアニズムにはまだまだついていけない部分が多いですわ)。まあ、夫婦別姓制度については、諸手を挙げて賛成というより「そんなの個人が好きにすればいいじゃん」という感じでわりと無関心に近い賛成だったりするんですが。
経済的自由についていえば、講義の中でリバタリアン派から「課税じゃなくて慈善事業はOK」という声も聞かれたけど、国や自治体による公共事業に頼らなくても、民間の慈善事業NPOで社会を回していける素地というか選択の余地が社会の中にあるかどうかで考え方が変わってくるのかも知れない。
講義で紹介された「燃える家を眺めるだけで何もしない消防会社」とか、少し前のクーリエ・ジャポンに出てきた民営の刑務所とか、ああいうネガティブな側面を見せられると、ああやっぱりアメリカはダメだなあと思ってしまうけど、リバタリアニズムには一種の性善説的なところもありそうだし、もうちょっと知る必要があるな。