大阪国立国際美術館で束芋展「断面の世代」

ひさびさの国際美術館。初日の今日は入場無料でした。
束芋(たばいも)というアーティストについては、今春に横浜美術館で展覧会が催された際にはじめてTwitter経由で知った程度なんですが、ループされるアニメーション映像を中心にした作品の数々は気持ち悪くもあり、なかなか面白いものでもありました。

団地層

地下2階の展示スペースに足を入れると、いきなり真っ暗の世界に誘われます。自分の足元もおぼつかないくらいの漆黒空間におそるおそる腰を下ろすと、天井にモノクロのアニメーションが映し出されていた。無数の家具類が流れるように戸棚や押し入れらしき場所に収斂されていくプロセス、ただその繰り返しだけなんだけど、個人的にはずっと眺めていても飽きない感じだったなあ。隣の人が誰だか判らないくらいの暗い空間というシチュエーションも面白い演出効果があった。映画もそうだけど、真っ暗な世界というのは鑑賞者に有無を言わさず「はい注目!」って強引に目を向けさせる力があるよね。

団断

これが今回の目玉かな。前の「団地層」と似たモチーフで、集合住宅の一室を上から俯瞰したような視点のアニメーション。スクリーンに映される部屋は少しずつ別のものに変わっていき、ときどきヘンなキャラクター(全裸で冷蔵庫に入っていく男や洗濯機に半身を入れてぐるぐる回る女など)が出てきたりしてユーモラス。この作品が展覧会のタイトル「断面の世代」を端的に表しているようです。インタビュー記事から少し引用。

─「断面」って、どういう意味なんでしょうか?

束芋:私が言う「断面」は、三次元のものを切断したときに出てくる、二次元を指しているんです。例えば、ここに太巻きがあるとします。太巻きじたいはとても分厚いですけど、切断面だけ取り出せば、すごくペラペラです。でも、そのペラペラな二次元を見ると、三次元の情報、つまり太巻きの中身を全て知ることができる。私たちの世代の特徴って、そういう「ペラペラなんだけど、全ての要素が詰まっている」ようなところだと思っているんです。

「断面の世代」の作家 束芋インタビュー - アート・デザインインタビュー : CINRA.NET

そういえば、先日見たアニメ『四畳半神話大系』の第10話「四畳半主義者」を見たときも似たようなことを感じましたなあ。今いる四畳半と隣の四畳半は少し違ってる。そういう目に見える端的(断面的?)な情報から、その背後に複数のストーリーを導き出していく趣向。もっとも、束芋の作品はずっと客観的で醒めた眼差しのようですが。

悪人

以前からぼくは、人間の皮膚や身体が奇形やメタモルフォーゼを起こしていくような絵がどうも生理的に受けつけなくて、マンガでいえば『寄生獣』や『デビルマン』なんかが全然ダメでした*1。絵画でいえばアルチンボルドのような、人間の顔が実は果物の集合体とか、ああいうのもダメ。人間の身体はぜったいキレイじゃないとダメ、ぼくの期待を裏切るような真似をしたら絶対にダメなんです*2
さてこの展示は、朝日新聞の連載小説「悪人」に添えられていた挿絵の数々を並べたもの。髪の毛が電話のケーブルになったり、人の顔が溶け出したり、手の指が不規則にぐにゃりぐにゃりと生えてきたり・・・ぼくにとっては「面白い」と「気持ち悪い」のせめぎ合う、許容範囲ギリギリのところかな。最近はだいぶ許容の敷居が下がったのですが、それでもミュージアムショップに置いてあった「悪人」のイラスト入り手ぬぐいを家に持って帰ろうとは思わなかったなあ。

油断髪

こちらも「悪人」が題材の作品。人間の身体を単なるマテリアルとして見たらけっこう面白いのかもしれないし、見る側から作る側に回ったら別の面白さもあるんだろうな、たぶん。

ぼくとしては「断面」系の作品が面白くて「悪人」系のはちょっと・・・という感じでした。
8月26日からは、束芋の映像作品と合わせた舞台劇も催されるらしい。

1985年に社会を震撼させた豊田商事会長刺殺事件をめぐって、そこに居合わせた報道陣の実際の証言、刺殺された男の半生をモチーフに、現在と過去が交錯する時間軸で展開する舞台「トータル・エクリプス」。束芋の今展覧会のテーマ「断面の世代」の原点となった本作品を、束芋の最新映像とともに再演します。
�������۔��p�ف@NMAO

*1:これはおそらく、子供の頃からアトピー持ちで自分の皮膚がぼろぼろになっていくさまを何度も目の当たりしているせいかな、と思うんですが、はっきりしたところはよく判りません。

*2:別に、病気で身体に異変を起こしている人を否定するつもりはないです。念のため。