年始の再放送(ETV特集 シリーズ「日本と朝鮮半島2000年」第9回 朝鮮通信使 〜和解のために〜

前回の朝鮮出兵に続いて今回は江戸時代の朝鮮通信使の話。
だーかーら、なんで日本語で解説入れるときに「イムジンウェラン(壬辰倭乱)」って言うのさ?ふつうに「朝鮮出兵」でいいんじゃないの?・・・と、ぼくはのっけから苦い顔でテレビ画面にツッコミを入れてしまうのだが、どうも演出の意図が分からない。別にぼくは朝鮮や韓国がキライでそんなことを言う訳では全くなくて、別々の国同士の話なんだから、歴史については見方の違いや呼称の違いがあって当然だと思うんですよ。そのあたりを曖昧模糊な感じで、なんとなく相手に擦り寄って、あたかも理解を示しているような言い回しやポーズは(うむうむ、そちの言うことはよぉーく分かっておるぞ!)かえって慇懃無礼でよろしくないんじゃないかなあ。
朝鮮通信使が始まった経緯としては、日本では徳川家康が豊臣政権の終焉と政権交代をアピールしたい意図があり、朝鮮では日本に連れ去られた被虜民の返還を日本に訴えることで国内世論を鎮めたい意図があったとのこと。そこで家康が日本のトップとして「すんませんでした」と、李氏朝鮮側の顔を立てる形で送ったとされる国書が、実は対馬藩の偽造だった!(柳川一件というらしい)てな話も出てくる。
このあたりは(やや強引かもしれないけれど)北朝鮮に拉致された日本人の返還をめぐる昨今の流れと重ねて見ることもできるだろう。国家としての対外的なメンツがあり、沸騰する国内世論があり、そんな中での腹の探り合い。まあ、当時は朝鮮国王が日本にやってきて直談判なんて発想はなかったのだろうけれど、ともあれ、第1回〜第3回の通信使は「回答兼刷還使」という名前で日本に派遣されたとのこと。
対馬藩の国書偽造ネタが出てきたついでに、徳川将軍を「国王」とするか「大君」とするか、という話も聞きたかったのだが、残念ながらそのネタは出てこなかった。
その代わりといっては何だが、儒学者雨森芳洲と申維翰(シン・ユハン)の交流がけっこうクローズアップされていた。朝鮮通信使を迎える宴の席が豊臣秀吉ゆかりの方広寺*1になったことで申維翰が激怒したり、雨森芳洲が「日本のことを倭と言ってくれるな」と訴えたり、いろいろハードなやりとりもあったらしいが、まあどちらも文化人ということでそっち方面で心が相通じるところも多くて、帰国の途につく申維翰を見送る雨森芳洲が涙を流したりと、そんなちょっといい話。
朝鮮通信使 - Wikipediaでは、通信使一行の蛮行とか、いろいろネガティブな部分が書いてあるけれど、韓国の研究機関に取材協力してもらっている立場もあることだし、さすがにNHKはそこまで踏み込めないだろうな。とはいえ、今回の放送が取り上げている「文化交流」的なプラスの面がある一方で、国家主導のイベントだけあって地方ではイヤイヤながら金銭や労力を提供しなければならなかったという面もあっただろうし、そんなところは昔も今も変わりないはず。そこらへんは想像力で補強しながら見るもよし。
さて、今月末には「日本と朝鮮半島2000年」シリーズが早くも最終回を迎えるらしい。次に取り上げるのは明治時代、福沢諭吉金玉均がメインの話になるとのことだが、この時代で幕引きというのは中途半端な気もする。まあ、日清・日露戦争閔妃暗殺、日韓併合第二次世界大戦朝鮮戦争・・・と、その後に続くのは「交流」の話じゃなくなるからやんぺにしたのか、どうなのか。

*1:あの周辺は豊国神社とか耳塚もあるし、素人の目から見ても宴の席としてはロケーション的にやばすぎると思うのだが。