『吉野裕子全集 第10巻』より「陰陽五行と日本の天皇」

今のところ、ざっと目を通してみた程度の読み方なのだが。

少し前にネット検索していたらこんな記述に出会った。

天皇大帝(てんおうだいてい・てんのうだいてい)は神格化された北辰(天の北極)のこと。後述するように、日本における天皇という称号の起源の有力な候補の一つと考えられている。北斗七星と混同されることもある。
(中略)
道教では 「北極紫微大帝(北極大帝・紫微大帝)」 とも成り、また北斗七星が神格化された 「北斗真君(北斗星君)」 と習合した。「北極紫微大帝」 と 「北斗真君」 とは本来は別の神であったが、現在でも分ける場合と同一視する場合とがある。 中国の皇帝や日本の天皇家の北斗信仰にもこの同一視が見られる。
天皇大帝 - Wikipedia

そういえば『道教の神々』(窪徳忠著・講談社学術文庫)の中にも北極紫微大帝のことが触れてあったな。道教と日本の天皇が結びつくというのはいまいちピンと来ないのだが、京都御所において天皇の御座がある御殿が「紫宸殿」と言われるように、紫という色は高貴な色であり、かつ天皇と関係が深い。そこから北極紫微大帝と紫宸殿のつながりも見えてくるのだろうか、などとぼんやり考えてながら出会ったのが吉野裕子の本だった。
まずは天皇と北辰(北極星)のつながりについて。

『春秋合誠図』に「天皇大帝は北辰の星なり」と見え、宇宙の中心としての北極星は中国では君子にたとえられ、それにならって日本でも大和の首長が「天皇」と称するようになったのは、諸説はあるが、だいたい推古朝と推測されている。
北極星の神霊化「天皇大帝」を大和の首長が名乗る以上、その基盤たる中国古代天文学も当然、受け入れられていたはずである。
その中国古代天文学によれば、北極星を中心とする部分が「中宮」と呼ばれた。中宮は北極星およびその周囲にある星座から成立し、北極星の神霊化たる最高の天神「太一」の居所は北極中枢付近のもっとも明るい星とされている。その近くに太子・后の星があり、この天帝一家の一団を「紫微垣」という。(p.154)

そして、なぜ北極星が神聖なものとされたかといえば、これは方位・季節・時間における「子」の意味合いと深くつながっている。
方位における「子」は真北であり、季節における「子」は旧暦の11月、この月は冬至を含む時期である。冬至とは陰が尽きて一陽来復の陽の始めであり、ものごとの終わりと始まりが重なる場所。さらにいえば、宇宙が混沌とした「太極」から陰と陽に分かれた原点を想起させるわけで、季節の「子」は非常に重要かつ神聖な概念となる。そうしたことから、天空の真北「子」に位置する北極星もまた神聖であり、日本の天皇はそれにあやかったといえるわけだ。
つぎに、紫という色について。紫はいわずもがな「中間色」であるが、陰陽五行の考え方では、一般的な認識されている「青と赤の中間」ではなく「黒と赤の中間」の色だそうだ。これはなぜか。
それは、黒と赤がそれぞれ「陰と陽」を示す色だからであり、この陰陽二色の統合がこれまた宇宙の大本たる「太極」を表しているのであって、その法則からして非常に神聖かつ高貴な色、ということになる・・・というのが著者の主張。単に「上品な雰囲気の色」だから紫が重用されたということではないそうです。
最後に、中国皇帝と日本の天皇の違いについて。

中国皇帝は「天子」であって、「天皇」ではない。唐の高宗のように少数の例外はあるとしても、中国君主の本質はどこまでも天帝によって是認されたもの、「天子」であって、これが易姓革命の大義名分である。
もし中国皇帝が自身を「太一」とか「天皇」を名乗れば、易姓革命の名分が立たず、前王朝の帝王を放伐して追い払い、政権を奪取して自身がそれにとって代わることは出来ない。
大陸から見れば辺土粟散の東海の一島国の君主が、自身を宇宙神にまで高め、「天皇」を名乗るなど、どれほど笑止の沙汰だったろう。
(中略)
多分、大和の首長に天皇を名乗らせた智慧者は、革命の悲劇を同じように深く体験した人々であって、大陸、あるいは半島からの渡来人であったろう。(P.151-2)

また、天武天皇の頃に完成されたとされる『日本書紀』冒頭の天地開闢神話「古へ、天地未だ剖れず、陰陽の分れざりし時、混沌たること鶏子の如く」のくだりは、中国の『准南子』や『三五暦記』とよく似た記述であるらしい。当時の日本人が天皇家を権威づけるにあたって、中国の思想をいろいろと借用、ときには換骨奪胎した経緯が垣間見えて面白い。