黄檗山萬福寺のほていまつり

京阪黄檗駅から徒歩で約5分。萬福寺では毎月8日が「ほていさん」の日、今月の8日は日曜日と重なっていたので、ちょっと足を向けてみた。

境内正面の道脇には、衣類・草花・手作りの雑貨などを扱う市が立ち並んでいた。

こういう市の光景は六道珍皇寺や大将軍八神社でも見かけたが、萬福寺はもっと敷地が広いので市のほうも規模が大きい。

萬福寺といえばこのお方を忘れてはいけません。
「うわっはっは、わしゃ満腹で動けんわい」
「布袋さん、そらマンプク違いですがな」

逆光ですみません。境内で中国雑貨を売っていた中国人のお姉さんから聞いて初めて知ったのだが、写真に映っている小さなお堂には関帝(三国志関羽を神格化したもの)が祀られているそうだ。中華風の関帝廟とは少し趣が違うようだし、堂の中に祀られているのはヒゲのない金色の関帝さんだったのだが、像の両脇には

中華民国二十二年一月一日吉旦
刀偃青龍出五?*1青史義名関帝君
馬騎赤鬼行千里宗門月旦忠聲
福建省福清縣高山市岑下 陳玉梅喜福

と墨書された赤字の布が下がっていた。やはり関帝か・・・しかし、
万福寺華光
上記のリンク先情報によれば、正確には関帝ではなく華光菩薩というのだそうな。

関帝と華光神は、道教ではともに四大元帥の一角を占めており、財神という職能も一致することから、ある意味誤解があるのも仕方のないところがありますが、元来は全くの別神です。この二神を混同することは、問題があると言ってよいでしょう。

関帝は、よく知られているように三国時代の武将で、神として祭る場合は、顔を赤くし、青龍刀を持ち、長髯を持つ像であるのが普通です。これに対して、華光神の像は、三目で髭は無く、また手に金磚を持っています。そもそも華光神は密教の妙吉祥(文殊菩薩)と由来の深い神で、密教的な様相を持っています。関帝とは出自も形象も、全く異なっているのです。

うむ、たしかにヒゲはなかったし、仏様風ではあったな。とはいえ日本人は三国志好きだから「関帝」と言われたら素直に信じてしまうのもまた人情のような気もする。ぼくはアバウトな性格なので、七福神の布袋さんと弥勒菩薩だってどういう訳か結びついているんだし、まあええやないかと、そんな気にもなってしまうのである。

*1:?の部分は漢字が読めなかった。