建仁寺で初の坐禅

京阪四条駅から東へ、花見小路を下がったところにある建仁寺風神雷神の屏風で有名なこのお寺で坐禅の会があるらしいことは以前から小耳に挟んでいた気がするのだが、本当に確からしい情報はごく最近になってネット経由で仕入れた。
http://www.kenninji.jp/news/?p=79
坐禅についての知識はほぼゼロなのだが、中村勘太郎主演の映画『禅』を見てからだろうか、そのストイックな佇まいには惹かれる所もあり、さりとて警策で打たれるのはちと痛そうだし、生半可な気持ちで参加したことを禅師に見透かされるというのもなんかイヤだ、とはいえ自宅で我流の坐禅をやるのはあまりよろしくなかろう云々。まあそんな期待半分不安半分の気持ちで日曜朝8時からの千光会なる坐禅会に向かったのである。
参加費は無料。受付(といっても名前と住所を書くだけだが)を済ませて方丈に上がると、参加者は想像した以上に多かった。目算でざっと80人くらいだろうか。若い学生風の男女が目立った。
僧侶による簡単な説明のあとさっそく坐禅タイムに入る。休憩を挟んで前後半各20分。長いといえば長いのだが、自分なりの心地よい姿勢のポイントが見つかったらあとはそれを維持していくだけ、さほどの苦痛ではない。こちとら見よう見まねの結跏趺坐と法印、初回ならではの緊張感があったせいか、静寂な空気感にも割とすぐ慣れた。
とはいえ、警策を構えた僧侶が目の前をすたすたと歩いてくる気配を感じるのはやはり気持ちのいいものではないな。堂内のいたるところでパシッと鋭く打つ音が聞こえてくる。結局のところぼくは一度も打たれることがなかったのだが、自分のすぐ前で僧侶がピタッと足を止めたらやっぱりイヤな気分になりそうだな。うわあ、来るわ来るわって。
ぼくは雑念と邪心のかたまりみたいな人間なので、他人が打たれるのをちらっとみながら「どうせ居眠りしとったんじゃろ、ざまあみろ」みたいなこともふと思ったりするのである。へへん、俺なんかこう背筋をピンと伸ばしてまるで仏様のように品良く構えているから大丈夫なんだよん、とかそんな優越感がよぎったりする一方で、僧侶がひたひた近づいてくると途端に内心でびくついたりするわけで、こういうロクでもない馬鹿野郎は二度でも三度でもバッシバシと打たれなきゃダメなんだろう。ほんとにすみません。
まあそんなこんなで坐禅タイムが終了、般若心経の読経がひとしきり済むと、お茶とお菓子がふるまわれ、最後に管長猊下なる和尚さんの法話タイムに入る。今回の法話は「乾峰一路」というお題で「悟りの境地はどこにあるのか」との問いに対する答えの意味するところを細かく噛み砕いて解説してくださった。悟りや涅槃は決して西方十万億土の彼方にあるのではなく、今ここにあるのだ、ひとりひとりの心の持ちようなのだというお話だった。