京都国立博物館で「日蓮と法華の名宝」展(2回目)

先日『天文法華一揆』という本を買った。主に室町時代後期における日蓮宗法華一揆と呼ばれる京都の町衆のムーブメントについて触れてある。室町時代応仁の乱以降は足利将軍家の力が弱まったことは中学レベルの歴史知識として知っていたが、将軍が京都を離れて潜んでいた時期があること、権力の空白地帯となった京の町を守るという名目で法華宗の信者たちが武装集団として振る舞っていたこと、このあたりは今まで知ることがなかっただけに非常に興味深いものであった。

天文法華一揆 ~武装する町衆 (洋泉社MC新書)

天文法華一揆 ~武装する町衆 (洋泉社MC新書)

まだ途中までしか読んでいないのだけれど、読んでいるうちに「もういちど博物館に行ってみるか」という気分がむくむくと湧いてきたので、急遽再訪問することにした。天文法華一揆の時代(1532〜36年)についての展示があれば注目したいところだ。
しかし、今回改めて見てみたところ、博物館にはこの時代の展示品はあまりなかった。
以下、ウィキペディアより。

延暦寺後奈良天皇や幕府に法華宗討伐の許可を求める一方で、朝倉孝景を始め、敵対していた園城寺東寺興福寺本願寺などの協力を求めた。いずれも援軍は断ったが、支持や中立を取り付けることには成功した。さらに六角定頼の援軍を得て、約6万の衆徒で京都市中に押し寄せ、京都洛中洛外の日蓮宗寺院21本山はことごとく焼き払われた(天文法華の乱)。更にその火が大火を招き、京都は延焼面積では応仁の乱に勝る被害を受けたとも言う。こうして、隆盛を誇った日蓮教団は壊滅し、宗徒は洛外に追放された。以後6年間、京都においては日蓮宗は禁教となった。
法華一揆 - Wikipedia

ああ、そうか。一旦は全部焼き払われてしまったんだから、残っていなくて当然なのか・・・なるほど。展示されていた本能寺や本国寺の瓦などの出土品で思いをはせるくらいしかできないのか。それにしても合戦絵巻みたいなものがあると良かったんだけどなあ。
どちらかというと、天文法華一揆の後に起きた安土宗論(1579年)のほうが展示物としては目立っていた。安土城下・浄厳院で行われた浄土宗との論戦に敗れた際、法華宗側の日こう(王へんに光)という僧侶はその場で袈裟を剥ぎ取られ、別の僧侶は斬首されたそうだ。それを見て見物人はやんやの喝采。これはデスマッチというか古代ローマの格闘技みたいなもんだな。この宗論については織田信長が浄土宗の肩を持ったとか、法華宗から矢銭とよばれる資金を調達するための口実だったとか、いろいろな解釈があるようだ。また、浄土宗との宗論は1600年にも江戸城で行われ、またも法華宗側が敗れたらしい。僧侶・日経は耳や鼻をそがれたとのこと。
一番最後の展示コーナーでは、本阿弥光悦や狩野元信など、法華宗とつながりのある芸術家たちの作品が展示されていた。展示品自体は法華宗と直接関係のないものも多い。狩野派の屏風絵は当時らしく金地をベースにした派手な作品が目立っていたが、ぼくはそれほど好きじゃないかな。展示品の中では狩野元信の「十六羅漢図」や狩野山楽の「楼閣山水図屏風」のような、墨絵のシンプルな作品は気に入った。
日蓮宗の寺院では、本圀寺、本法寺、頂妙寺・・・まだ行っていないところが多いな。本法寺は鍋かぶりで有名な日親の寺で本阿弥光悦の作った庭園があるとか。いずれ足を向けてみたい。