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恋文

ふと、恋文を書いてみようかと思った。

なんだか若手の作家が気取ってひねり出した小説の書き出しみたいな感じもするが、別に小説なんぞを書くつもりはない。単なる戯言である。それはともかくとして、どういうわけだか「ふと、恋文でも・・・」という文句が先週のはじめあたりからぼくの頭の片隅でくすぶりつづけている。そこから先に進まない。
恋文というのもひどくクラシカルな言い回しである。ラブレターというのでさえ古くさい気がする。小谷野敦の本だったかに「今どきラブレターなんて書く奴はストーカー扱いされる」とかいうことが書かれていたが、最近の若い人は恋文などという言葉を知らないだろうし、意中の相手に手紙を書くという発想がほとんどない気がする。大抵は携帯電話のメールで済ませられるご時世だもの。
さて、ぼくはといえば、随分昔に好意を持っていた女性にしばしば手紙を送っていた時期がある。それが恋文といえるかどうかは微妙なところではあるが、一応は女性のほうからも丁寧な返事をもらったものだ。そのうち、何かにつけて「会いたいです」という意味の内容を文面に忍ばせてみたりした。ただ、残念ながら好意を持っていたのはぼくの方だけだったらしく、ほどなくして相手からの返事は来なくなった。
現在のところ、実際に恋文とやらを送ってみようと思う相手はいない。まさかくだんの相手に送るわけにもいかないし、かつて抱いていた思慕の念もどこかへ消え去ってしまっている今の時点で手紙など書いてもそれはイタズラにしかなるまい。いや、それ以前の問題として、そもそも連絡先を知らないのだから送りようもない。
とはいえ「書いてみたい」という気持ちはどこかにあるような気がする。送る相手もいないのに、である。今こうやっているようにカタカタとキーボードを打ち鳴らしてワープロの文章を作成するのではなく、便箋を買ってきて自分の手で書くのである。仕事上で走り書きするような汚い字ではいけない。ちゃんと読んでもらえるレベルの字を、意中の人に届くような心のこもった字を、ペンでもって書くのである。文字のバランスだとか段落分けとか、そういうことも考えながら便箋用紙に向かう緊張感。これが相手への恋慕を静かに高めていくような気がする。そんな心持ちをほんの少しだが味わった経験があることを幸せだと思う、と結んでいいものかどうか。