京都国立博物館

京阪七条から東へ徒歩7分のところにある国立博物館でやっている特別展「日蓮と法華の名宝」を見に行った。

展示品は仏画、経文・文書(法華経立正安国論など)、日蓮を始めとする法華宗僧侶の坐像などなど多岐にわたっており、全部で200点くらいあったのではないだろうか。全部ざっと見て回るだけでもなかなかボリュームのある展示だった。また、日蓮の生きた鎌倉時代から、南北朝、室町、安土桃山、そして江戸時代に至るまで、法華宗の歴史をざっくり勉強できる流れになっている。
時代的にはよく分からなかったが、吉田兼右の「神道深秘伝」は吉田神道および法華神道に関連する文書らしく、奈良・談山神社の「三十番神像」というのは神仏習合の表れらしい。

信仰の中心は三十番神日蓮の弟子の日像はこれを日蓮宗法華宗に取り入れ、室町時代には教団に広く浸透した。道場の祭壇または社殿に守護神として祭られた。祭壇祭式は天台宗日吉神社祭祀の先例に従ったが、天台宗のように専門の神職を置くことはなく、勧請などの儀式も宗徒が行った。 鬼子母神・十羅刹女とともに法華守護の善神として尊重されたが、明治の神仏分離により衰退した。
法華神道 - Wikipedia

神道法華宗のつながりを探ってみると面白そうだ。吉田神社にも今度行ってみよう。
日蓮鎌倉幕府から迫害を受けて佐渡に流されたことは有名だが、彼の弟子である日像の時代には朝廷や室町将軍家とのつながりが生まれたそうだ(とはいえ、法性寺の日親は六代将軍・足利義教の時代に弾圧・拷問を受けている)。それから安土桃山期に入ると、織田信長の時代には浄土宗との「安土宗論」に敗れて迫害され、豊臣秀吉の時代には方広寺への供養を断るなど、権力側との相性は良くなかったようだ。ただ、京都の町衆の間では法華宗の人気が強く、尾形光琳本阿弥光悦などの文化人が熱心な信者だったとのこと。
ぼくの家は日蓮宗であり、南無妙法蓮華経のひげ題目には馴染みがあるが、大きな掛け軸に書かれた題目を改めて見てみると迫力がありますなあ。南無妙法蓮華経を中心にあしらった文字だけの曼陀羅の四隅には、持国天増長天広目天毘沙門天の四天王の名前が書かれていた。四天王といえば、昨年訪れた鎌倉・長勝寺の境内では、四隅に四天王像を従えた日蓮像が堂々たる姿で立っていたのを思い出す。僧侶が像になることは決して珍しくないはずだが、日蓮の像にはひときわカリスマ的な強さが感じられるのは不思議だ。