『たまこまーけっと』4〜6話の感想

とりあえず6話まで見た時点での感想を書いていきます。

伝統を受け継ぐ/役割を担う

4話におけるあんこの挙動が興味深いものでした。
もともと地元のお祭りに興味がなかったのだけれど、ふとしたきっかけであんこは年少の子供の着付けを手伝うことになり、かつて自分が母親に手伝ってもらったことを思い出してその時に聞いたアドバイス(目をつぶって頭のなかで10数えて)をそのまま使い回します。あんこは、気付かないうちに地元の伝統(やや大げさな表現ですが)を受け継いで下の世代にバトンを渡す役割を担うことになります。
このくだりは、『映画けいおん!』のラスト近くで平沢唯が「私たちも伝統を受け継いでいるんだ!」と気づく箇所を彷彿させます。どちらも、本人が意識した行動の結果ではなく、知らず知らずのうちにコミュニティ・サークルの中で何かしらの役割を担っていた、という共通性があります。こういうゆるやかな包容力は、山田尚子作品の持ち味でしょうね。
また、北白川家に居候中のデラもまた、お神輿の鳥の代役を担ったり(4話)、お化け屋敷の客寄せに一役買ったり(6話)、期せずして周囲の人々の役に立っています。この「期せずして」というのがポイントでしょうか。そもそもデラは人助けをするため商店街に逗まっているのではないし、住民たちも特に何かを期待しているわけではありません。しかし、結果として何かしら人々とのつながりが生まれている(でも作品としてはそれを強調しない)という流れが作品のコンセプトとしてあるのだと思います。

デラについて

さて、そのデラですが、この鳥に頼み事をしてもうまくいかないことが多いです。

3話:史織がたまこへの伝言を頼むが、断る
5話:もち蔵がたまこへの手紙を託すが、みどりに妨害される
6話:あんこが回覧板を託そうと思ったが、外出中

しかし、6話でかんながペンキの缶を託すくだりが一味違っていました。デラを動かすためにクラスメートの史織を「エサ」にしてしまうところがかんなの策士たるゆえん、彼女は首尾よくデラを操縦したようですが、デラ自身は(プライドが高いためか)人に使われることを快く思っていない模様ではあります。

たまこと商店街の人々

たまこは同世代の子たちと比べると商店街、家業へのコミット度合いが高く、かつての母親ポジションを担っているようにも見えますが、必ずしも大人世代と同じポジションに立っているわけでもないようです。
自分の生まれ育った商店街が好きなのは周囲の人々と同じですが、彼女にはそこに少しずつ新しい要素を盛り込みたい傾向があって、それがバレンタイン企画(2話)、自作のハッピーもち販売(4話)、お化け屋敷企画(6話)に現れています。
6話に見られる縁起の悪いものを忌み嫌う傾向、それは大人世代が共有する集団心理だと思いますが、たまこはそうした大人たちの集団心理から少し離れたところにいます。集団心理ゆえに日常の光景が怪奇現象に見えてしまう大人世代と、それを横から見ているたまこやクラスメイトたち子供世代の対比が面白かったです。
とはいえ、大人世代と子供世代は決して対立しているわけではなく、大人世代のダメな部分を子供世代が積極的にサポートしている風でもなく、それぞれの思いの交錯が結果として面白いものを生んでいるように見えました(かんなの計画と、そこから派生するリアクションが特徴的)。
さて、6話に出てきたお化け屋敷のキャラクター「キフネちゃん」は貴船神社の丑の刻参り*1がネタ元のようですね。納豆のように見えて実は「呪いの藁人形」というゆるキャラ。チラシやポスター、お化け屋敷入り口にもキフネちゃんのイラストをあしらっているのは、昨今の「ゆるキャラご当地キャラ)で町おこし」的な世相を反映しているようです。

恋愛関係の描写について

恋愛云々については制作スタッフが意図的してほのめかし程度にボカした描写を狙っているのではないかと思っています。5話でたまこたちの三角関係が見えてきましたが、今後誰と誰がくっついて・・・という展開はなさそうな雰囲気です。
5話では、みどりが警戒心むき出しでもち蔵をたまこから遠ざけようとしていますが、みどりともち蔵の口論が口論になってないというか、途中から「たまこに関する知識くらべ」になっていて、いや恋愛感情ってそういうもんじゃないだろうとツッコミを入れたくなるような、そこが面白かったんですけれど。あと、みどりの目つきが言葉以上にいろいろと語っているようでそこも見どころですね。それとラストのサムズアップ。

自分の前を通り過ぎるたまことかんな、それぞれがウィンクしながらもち蔵にサムズアップを示す姿にやや怪訝そうな顔つき(目の方向に注目、こうした顔つきは劇中に何度も出てきます)。しかし最後には自分もやってみる。もち蔵に対しての警戒心はなくなったとの意味合い、あるいはこんなしょぼい奴が恋敵になるはずもないとの安心感、あるいは親しみ、さてさて?
たまこが恋愛関係に疎いのは2話、4話で示されたとおりで、そこが変わらないとどうにもこうにも進展しないでしょうし、みどりの言動をもち蔵がどこまで理解しているのかもネックですね。デラの言う「同じ香りがする」者同士がくっつく線はちょっと考えにくいし、仮に「悔しかったら力づくでもたまこを奪い取ってみろ!」と挑発してくるキャラが登場すれば・・・いやいやその線もなさそう*2

かんなちゃん

今までマイペースな不思議ちゃんのイメージが強かった子ですが、6話で独自色をグッと発揮していました。

大工の娘ということで、測量や設計のスキルに長けているキャラクター設定ですが、単にものを測ったり作ったりするだけでなく、人々や状況の動きをしっかり見極めるスキルも高い子だと見えました。上のキャプチャーではデラと反対の方向を見ていますが、夏に入ってから商店街への客足が落ちていることを(たまことはまた別の角度から)把握しています。人とは違った自分の視点を確立している子ですね。
また、デラとの距離感も見どころです。

鳥アレルギー(2話参照)のため、他の子たちほどデラに接触することはできませんが、ちょっと距離をおいている関係性ゆえに、日頃からデラの動向やクセを見抜いていたのでしょう。他の子たちがことごとく失敗したのとは対照的に、しっかりとデラをパシリとして使いこなしていました。しかもクラスメイトの史織をエサにしてデラを「遠隔操作」しようとするのですから大したものです。将来が恐ろしい子ですね。

「星とピエロ」のマスター

4話以降の動向です。

4話:祭りの準備をする人々を店内から眺めている。もちろん行事には不参加。マスターいわく「世界と僕とのアンビバレンツ」
5話:出番なし(たまこたちの臨海学校がメインの回だったため)
6話:ホラー映画サントラ風のレコードをかけたところ、怖がったたまことみどりから止めるようツッコミが入る

4〜5話で存在がフェードアウト、ついに消えてしまうのかと思いきや6話で復活しましたマスター。6話の挙動は、3話でのモノローグ「言葉が全て音楽ならば・・・」を受けたものになっていて(言葉ではなく)音楽を通じて女子高生たちと会話を試みているんですね(もっとも、デラ用の珈琲を用意している描写から察するに、全く言葉によるコミュニケーションができないわけではないようですが、強いてその中に入りたくはないのでしょう)。
ともあれ、物語の本筋にほとんど関わらないキャラクターがコンスタントに出てくるのは興味深いところですし、少しずつ見せる変化も見どころ、今後も要注目の人物です。

同じ構図の繰り返し

少しずつ見せる変化・・・といえば5話の演出が面白いものでした。

たまや前の女子高生(写真左がアバン、右がラスト近く)。

通りを隔てて向かいから彼女たちを見ているもち蔵とその母親(同じく写真左がアバン、右がラスト近く)。
どちらもキャラクターの立ち位置やポーズがほぼ同じ構図になっています。どうしてこのような演出をするかと言えば、その後に来る人物の言動・リアクションに差を見せたかったからだと思います。前述のサムズアップが示すように、みどりからもち蔵への警戒心が薄れたという変化、あるいはもち蔵のほうがたまこに対して何の行動にも出られないという状況の変わらなさ、でしょうか(母親の口にする「宿題」も何か暗喩めいた印象があります)。
まったく同じ構図ではありませんが、5話ではたまこがもち蔵を誘う場面が数回出てきます。そこに見える少しずつの変化も、何かしら今後の展開へのヒントになるのでしょうか(まあ、こと恋愛面での動きはあまり期待できそうにないのですけれど)。
話はそれますが、先日鑑賞した荻上直子監督『トイレット』という映画の中でも、作品前半において物言わぬ祖母が毎朝トイレに入って出てくる動作と孫たちのリアクションが何度も繰り返されていて、そこにも少しずつの変化を見せる意図があるように見えました。こういう細かい演出を見極めるには鑑賞者がかなり注意を払わなければ、単にゆるい描写にしか見えない可能性もあるのですが、かえってそういうところが興味をひく部分でもあります(荻上直子作品はアニメではなく実写映画ですが、セリフなど言葉による説明的要素や押し付けがましい感動要素を排除していて、鑑賞者がそれぞれに作品の中から何かしらを感じ取ることを期待する作風で、そこが『けいおん!』や『たまこまーけっと』に通じる匂いを感じます)。

最後に

現時点での印象では、この『たまこまーけっと』は物語というよりも、商店街周辺の人々を描いたスケッチのような作品ですね。1クールの前半部分でやっとメインキャラクターの人となりが掴めて、それぞれの場面描写から窺える作品の流れがぼんやりと見えてくるかどうか・・・といったところです。
お付きの少女が登場する7話以降に「おっ!」と思える展開があるのかもと思いつつ、ドラマチックな起伏は今後もないだろうと思います。前に書いたように「作品世界のゆるやかな心地よさ」とか、各エピソードを通じて見られるささやかな変化(それは季節の変化のようなものかも知れません)を見つけ、感じ取っていく楽しさ、そういうものを毎回ゆったりと味わいたいなあと思っています。

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*1:http://kibune.jp/jinja/story/story3.html

*2:ひょっとすると「お付き」の子が恋愛方面で割と強引に押してくるキャラかも知れませんが・・・。

『たまこまーけっと』1〜3話の感想

とりあえず3話まで見た時点での感想を書いていきます。

けいおんシリーズよりもゆるい雰囲気

ぼくは、テレビでの1話放映前に京都文化博物館で先行上映会の鑑賞をしたのですが、その際の印象は『けいおん!』シリーズよりもさらにゆるい雰囲気だなあというものでした。
1話に描かれた季節は冬休みから大晦日。けいおん(1期および2期)のように学校での学期が始まる4月ではありません。主人公を含めた生徒たちが学校における新しい環境の中で「さあ、これから何をしようか?」とそわそわ動き始めるわけではないのです。もっとも、主人公・北白川たまこの誕生日が大晦日ということで、商店街の人々が誕生日プレゼントの件で意思を一致させる流れはあるものの、やっぱりテイストは違うなあと感じました。
また、けいおん1期のこと前半においては、部活動の点で一致させる傾向が随所に見られました(軽音部を存続させるために部員を確保しなければならない、試験で赤点をとった仲間のせいで部活が活動停止にされるとマズイ、顧問の先生をつけなければならない、学園祭に向けてスキルアップを図らなければならない、などなど)。ゆるやかな流れの話ではありますが、目の前の課題に向かってメインの女子高生4人が一緒に進んでいく方向性はあったと思います。その点で比較すると『たまこまーけっと』ではメインキャラクター3人の仲良しっぷりはよく見えてくるけれど、だいぶ趣を異にしているんですよね。それでキーとなるキャラクターはメインの女子3人ではなく「鳥」だということ。

鳥とその立ち位置変化

たまこの住んでいる商店街に転がり込んできた鳥(デラ・モチマッヅイ、以下デラ)は作品の中で最もコミカルな役回り、視聴者からすればややウザキャラでもあります。
しかし、話数が進むにつれて商店街の中ではデラに好印象を持つ人たちが増えていく点をはじめ、作品の中では少しずつキャラクターの印象を変えているところに注目したいですね。

  • 1〜2話では、たまこをはじめ周囲の女の子が自分に惚れていると勘違いして偉そうな態度をとっていましたが、3話では初対面の朝霧さんにメロメロ、自分のほうから近寄ってアプローチをかけていますし「恋に落ちたぞ!」との独白まであります。
  • また、2話ではみどりをレコード店に誘い、3話では朝霧さんを商店街に迎え入れる役割を果たしていますし、成り行きとはいえ受け身のスタンスから次第に主体的な行動をとるスタンスへとシフトしているように見えます。

見た目の面白さとしては、デラと女子高生の位置関係(高さ的な意味で)ですね。

  • 1話:登場当初は身のこなしが軽くて、たまこの頭へ乗っかっていました。
  • 2話:おもちの食べ過ぎが災いしてみどりと連れ立っている場面では、彼女の頭近くを飛ぶ(顔が必死)。
  • 3話:肥満傾向は改善せず、春に入るとさらに飛翔能力がダウン。朝霧さんに抱きかかえられながら移動する始末。

デラの変化をこういった形で視覚的に見せていくところが面白かったです。

レコード店「星とピエロ」のマスター

毎回Bパートに登場するマスターさん、商店街メンバーの中では異彩を放つキャラクターですね。オープニングのカットではみんなと一緒に笑顔を見せているものの、2話における商店街の会合には顔を出していませんし、基本的にシャイで大勢の中に出て行くのは苦手な性格なのでしょう。もしかすると経営しているレコード店も趣味の延長、商売をしているという意識がほとんどない人かも知れません。
このマスターさんも、話数ごとに少しずつ変化を見せています。来店した女子高生たちとのやりとり(のようでただのモノローグっぽい)が見どころです。

  • 1話:コーヒーが苦いというたまこに牛乳パックを差し出し「コーヒーは苦い、でもそれは生きる苦さを味わいに変えるため」と声をかける(ように見える)。
  • 2話:みどりの気持ちを汲み取ったかのようなモノローグ(誰にも名前の付けられない気持ちがある)をする。
  • 3話:前回と同様に、来店した朝霧さんの気持ちを察しているようではあるが「言葉がすべて音楽」云々のつぶやきは、たまこ&朝霧さんの会話内容からややずれている。

デラとは対照的に、彼は来店客とのコミュニケーションがとりにくくなっているように見えます。この調子だとマスターのセリフが段々と浮いたものに聞こえてきそうで心配なのですが、大丈夫でしょうか。

たまこについて

主人公のたまこについては、基本的に安心できるキャラというか、この子なら物語がこの先どう転がっていっても大丈夫だろうと思いながら見ています。
人懐っこくて誰とでも仲良くなれそうな性格は平沢唯っぽくもありますが、日々家業を手伝っているためかしっかり者の印象を受けます(早起きもできますしね)。母親がいないという設定が効いているのでしょう、本人は学校に通いながらも仕事をしているという意識を常に持っていると思います(もっとも、父親からすれば「背伸び意識」にしか見えないのでしょうけれど)。
端的な例を挙げると2話のバレンタインエピソードですが、たまこはチョコを誰に渡そうかという発想よりも、店の商品をどうするか、商店街をどう盛り上げるかのほうに発想が向かってしまうんですよね。家庭内でかつての母親ポジションを担っているゆえなのか、はたまた恋愛面に疎いゆえなのか、まだよく判りませんが。

朝霧さんの変化

3話から本格的に登場した朝霧さんが見せる変化も興味深いものでした。
デラの立ち位置変化をなぞっている部分もあるのですが、道に迷っていた担任の先生をたまこの家に案内する役回りをするくだりや、たまこの家族に手料理をふるまうくだりなど、偶然のような成り行きがきっかけとなって、もともと受け身スタンスだったのが主体的な行動スタンスに変わっていく、それにつれて本人の意識も変わっていく、そういう流れがとても面白く感じられました。彼女は人見知りのきつい性格のようですが、いつの間にか人と接する役割をこなせている、視聴者からすれば「あ、できるじゃん!」と声をかけたくなるところもあり、いい流れの展開でした(もっとも「自分から意識して行動しなきゃダメだよ!」という部分も置いてあるのですが)。
けいおんキャラで言えば、眼鏡をかけた容姿やシャイな性格から宮本アキヨさんとの共通性も伺えましたが、レコード店で「すごくすごく楽しかったの!」と力をこめてたまこに語る場面は、声のトーンがいつもより上がっていることもあってムギちゃんのようでもありました。
もうひとつけいおん絡みで言うと、朝霧さんやデラが食べ物(おもち)でたまこの家に引き止められるのが、入部直前の唯や梓がお茶やケーキで部室に引き止められるくだりとよく似ていると思います。食べ物を介するつながりって意外と侮れないものですね。

1〜3話のベストショット

2話、レコード店から出てきたみどりがデラと連れ立って歩道を軽快に駆けていくシークエンス。

後ろ姿のショットから始まって、みどりの横顔に接近、そしてカメラを上方の空へとパンしていく流れがとても心地よく感じました。
その少し前、商店街で撮影するくだりでも、みどりの横顔からカメラアングルを上方のアーケードへと移行する趣向が見られました。みどりの行く先、具体的には分からないけど、何かいいことあるかも!と淡いけどポジティブな予感を抱くようなイメージを感じました。こういうセリフを使わないさりげない演出はとても好きです。

音楽

放映前のPVから流れていたピアノのちょっとボサノバ風な曲が可愛らしくて気に入っています。劇中でも少しアレンジを変えて使っているようで、けいおんシリーズでの”Have Some Tea?”的なポジションかなと思っています。今のところ曲名などは分からないのですが、いずれはサウンドトラックも発売してほしいです(「星とピエロ」マスター監修などの名義で)。
曲目といえば、毎回エンディングに劇中曲として表示される「Excerpts from “The Return Of The Drowning Witch” (Part1-Part9)」 Hogweedというのが少し気になっています。直訳すると「『溺れる魔女の帰還』(パート1〜パート9)からの抜粋」という変なタイトルですが、

  • 曲名から:Frank Zappa "Drowning Witch"
  • 曲名およびアーティスト名から:Genesis "The return of the giant hogweed"
  • Part云々の表記から:King Crimson "Larks' Tongue In Aspic"のタイトルがついた一連の楽曲

単語単位で検索してみると、上記のような実在の曲名がヒットしたりします。関連する動画を確認してみるとどれもプログレッシブ・ロックのカテゴリーに入るであろう、かなりアクの強い楽曲ばかりで、とても本作品に流れるゆるやかなテイストとは相容れないのですが、曲のネーミングはスタッフの遊び心から生まれたものでしょうか。
また、前述キャプチャーのみどりが駆けていくシーン、バックに流れるフランス語の曲(Marilou "Un Lieu de Rencontre")も気になって検索をかけて見たのですが全く見つからず、どうやら既存の曲ではないようです(レコードジャケットのデザインがフランス・ギャルの「夢見るシャンソン人形」と似ているとTwitterのフォロワーさんから指摘を受けました)。それ以外にも作品の音楽スタッフに関してはいろいろ興味深い経歴が見られます。以下のブログで詳しく言及されていますのでどうぞご参考に。

最後に

3話まで見たところで、メインキャラを中心に人となりが少しずつ見えてきて、作品の傾向もおぼろげながらつかめそうな気がしています。
作品傾向としては、それぞれの人物を特定の印象で固定させかねない言及や、過去の掘り下げは(何となくの予想ですが)やらないだろうな・・・と思っています。たまこの母親不在やみどりの恋愛感情など、視聴者としては気になる部分がちらほらとあるけどあえて具体的な言及を避けているようなので。
今後の展開については、山田尚子監督からのちょっとしたネタバレが出ていますし*1、話の先をあれこれと予想するのもいいけど、とりあえずは話数ごとにキャラクターの可愛さや作品世界のゆるやかな心地よさが味わえたらそれでいいかな、事前にあんまり多くを期待するより、すべてのエピソードを鑑賞した後になって「ああ、作品にはそういうテーマ性があったのか」と気付かされる楽しみってのもあるかなと、そんな気分もありますね。

行く秋を惜しみつつ紅葉とか電車とか

11月から12月にかけて撮った写真を中心に。

サクラ

紅葉といえばこれまでカエデのイメージが強かったのですが、ソメイヨシノなどサクラの葉が紅く染まったのもなかなか美しいことに気づきました。

鴨川沿いで11月上旬に撮ったもの。三条から今出川(その北も、ですが)の川沿いは4月初旬の開花が見事ですが、秋には秋の美しさがありますね。

落葉したものにピントを当ててセンチメンタルに。

12月に入ると色が褪せてきて、枝に残っている葉自体が少なくなってきます。

カエデ


今月に入っても、サクラに比べるとカエデの葉の色合いは健在です。これも鴨川沿いにて撮ったもの。
カエデの紅葉は、必ずしも観光客でごった返す京都市内の寺社にお金を払ってでないと楽しめないものではなく、こうした川沿いを歩きながらタダで楽しむ手もあります。ともあれ、燃えるような葉の色が青空に映えていました。

京阪・七条駅附近にてベニシダレモミジ。

琵琶湖近くの道路沿いで遠景をぼかしつつの一枚。

電車


京阪・中書島駅にて旧3000系特急車両。この駅ホームは湾曲していて、車両が内側に傾きながら入って出ていきます。
こうした列車の傾き(カントというそうです*1)は、京阪だと八幡市駅六地蔵駅でも見られるのですが、今年に入って一眼レフカメラを持ち歩くことが多くなるまでほとんど気づきませんでした(意識して物を見る&確認するためのツールとしてカメラの意義は意外と大きいと思います)。カントは京阪以外では塚口駅(阪急・伊丹線)や鳴尾駅阪神)でも見られますね。

宇治川にかかる観月橋近くから、川を渡る近鉄電車。
北から南へ抜けていく車両と鉄橋の合間からタイミングよく沈む夕日が見えました。

同じく夕暮れの宇治川、京阪宇治駅の西側にかかる鉄橋を渡るJR奈良線
これは日没後の撮影です(日が沈む前だと逆光で車両が真っ黒になってしまったので掲載を見送ります)。撮影したのは12月上旬、手袋を外してカメラを抱えていると手がかじかみそうになる冷え込みでした。ここも川と夕陽と列車を一度に楽しめるスポットだと思います。

おまけとして瀬田川を渡るJR東海道線
先日、アニメ『中二病でも恋がしたい!』の舞台モデルを紹介しているサイト*2でこの付近のショットを見かけたのをきっかけに、京阪石山駅から東に歩いて瀬田川を横断しつつ撮影してみました(ちなみにぼくはアニメの舞台考察ができるほどの土地勘もバイタリティも持ちあわせておらず、単純に自分が見たい&撮りたいものを追いかけているだけの半端者です)。
雨上がりの曇天でなんともどんよりした写真しか撮れなかったですが、晴れた日のできれば夕暮れあるいは日の出近くにもう一度来てみたいところ、たぶんすごく綺麗なんだろうなあ。

*1:カントを含めた解説が掲載されています→電車の線路曲線って何!?

*2:作品の背景描写と撮影写真の比較をされています→つればし 『中二病でも恋がしたい!』 聖地巡礼ガイド ~石山駅周辺・瀬田川大橋エリア~

『けいおん!highschool』について。

先月末に入手していた単行本を読んでの雑感です。

唯と梓が再会しない件について

大学組と高校組の出会い、とりわけ唯と梓の再会描写は、単行本の描き下ろしパートには出てくるんじゃないか(それがないと物語が締まらないだろう)と思っていたので、それがついに出てこなかった点には、どうしても引っかかってしまいました。
高校編の11話では梓が

「先輩たちとは学園祭まで会わないって決めてるもん!ライブでびっくりさせてやるんだ!!」

と宣言していますので、どんなに遅くても最後の最後には(唯が「あずにゃん会いたかったよ〜!」と梓に抱きつく的ベタな描写は避けるとしても)大学組の姿を出すのだろうと予想していたのですが、それがなかったのはなぜか。稚拙ながら作者の思いを推測してみました。

(1)作者が単に忘れていた。
(2)途中で気が変わった。
(3)もともと再会を描く予定がなかった。

(1)は多分ないと思います。もし連載中にど忘れしていたのなら、描きおろしに盛り込めばいいだけなので。
(2)の線はもしかしたらあるかも知れません。唯と梓の再会で締めくくる予定だったけれど「これって大方の読者が予想しそうな展開じゃない?そういうのに引っ張られる形で描いていくのは何かイヤだなあ」と思い直したとか。周囲の期待に沿う形で「描かされる」のは嫌だと、連載当初から大学編と高校編の登場人物をきっちりセパレートしていたポリシー*1を意地でも貫こうと考えたのかも知れません。
(3)これには根拠がありまして(大学編11話における唯のセリフ)

「高校の学祭が終わるまでは邪魔しちゃ悪いかなって」

これも憶測の域を出ませんが、梓として先輩たちにぜひぜひ高校の学祭ライブを聞きに来てほしかったのだけど、唯は「あずにゃんは学園祭が(完全に)終わるまで会ってほしくないと思っている」と勘違いして高校に出向くのを控えたとか。つまり唯と梓の気持ちがすれ違ってしまったと・・・そのあたりまで読者が推測しなければならないのはちょっと不親切な展開だと思いますが、話の筋としては一応通っています。

高校編の特色

大学編と比べると、新加入の1年生2人を含めてキャラクターが活き活きしていると思います。特に新キャラの描写を見ていると、たぶん作者は大学編より高校編に力を入れていたんだと思いますし、とにかく「わかばガールズ」5人が自発的に頑張っている部分を描きたかったのだと思います。単行本の描きおろしパートを大学編と同じく冒頭に持ってきたのも、その方向性ゆえなのでしょう。
また、もし作品の途中で大学編のメンツが入ってくると、従来の関係性反復にスペースを割かれる分だけ、彼女たちの活き活きした部分が一気にかすんでしまったことでしょうね*2。最後まで「再会」のエピソードを回避したのは、作者にそうした懸念があったからなのかも知れません。
既存キャラクターの設定を少しずつ変化させていたところも面白かったです。梓のツッコミはちょっとキツいくらいにパワーアップを見せていて、それに呼応するように山中先生はうざいくらいのボケっぷり、万能選手の憂も意外なところでボケていますし、純ちゃんはアニメ版でのマイペースな性格設定が上手く活用されていました(かつての唯や律のような「勉強できないキャラ」にしていないところも良かったです)。大学編のほうをあまり悪く言いたくないのですが、既存の関係性から抜け出せない点&新キャラが弱い点で大学編は残念だったなと思います。
前回のエントリーでは、大学編を「唯から梓に向けた近況報告」と書きましたが、高校編がそれに対応する形で「梓から唯への返信」になるかと言えばかなり微妙なところです。1話目こそ梓の語りから始まっていて、以降も梓が唯の存在(不在?)をしばしば意識しているのは明白であるものの、最終話は山中先生のモノローグで幕引き、描き下ろしパートは純ちゃん主導、物語の統一感を見ればかなりギクシャクしていてスマートさに欠けています。
まあ、見方をかえれば高校編は「梓の物語」のようでいて「群像劇」なんだと、そういう風にも受け取れますが。

最後に

学園祭のタイミングで幕引き・・・というのはこれまでに何度も書いたことですけれど、このけいおんシリーズがこれで本当に終わりなんだなと改めて思い直すとやはり寂しい気分です。大学編に比べて(っていちいち比較するのもうイヤだな)ブツ切り感はないので、梓をはじめ軽音部の子たちがこの先どうなっていくのかという不安はほとんどなくて、まあ何とでもやっていけるだろうと、あっけらかんとした安心感を持っているくらいなのですが、ファンとしては年末に映画版のガイドブックが出るのを待ってこれで一区切りかと、それだけですね。

けいおん!  highschool (まんがタイムKRコミックス)

けいおん! highschool (まんがタイムKRコミックス)

無理を承知で言うけど、アニメ3期やってくれないかな・・・

*1:大学編11話などの例外はありますけれど。

*2:もっとも、高校編オンリーで連載していれば話は別ですが。

『けいおん!college』について。

先月末に単行本を入手していたのですが、1週間ほど経って自分の中で思うところがまとまってきたので書いておきます。

他バンドの存在、ライバル意識

この大学編について注目する所はいろいろあると思うけれど、放課後ティータイム(以下HTT)以外のバンド*1がコミック版で初めて出てきたのは大きいですね。
アニメ版(映画も含む)では「デスデビル」や「ラブ・クライシス」などのバンドがちょくちょく出てきますが、これまでコミック版では描かれなかった部分を大学編で補完できたのではないか、と思います。対比してみるならば、デスデビルに相当するのが部長・吉井さんのバンドであり、ラブ・クライシスに相当するのが恩那組*2
デスデビルについては、アニメ1期4話の合宿回で澪がその存在を強く意識していたし、唯がギターソロの耳コピを試みる描写もありました。すでに卒業した先輩のバンドなのでライバル視とまではいかないけれど、自分たちのモチベーションを上げる材料にはなったのでしょう。
1期14話に登場するラブ・クライシス他のバンドに対しても、プロ志向などの面で即HTTのライバルにはなりえないけれど、HTTの知らない世界を見せてくれる存在であり刺激になったのは間違いないと思います。
もちろん、これらはアニメ版における創作なので、原作コミックを読む上では無視すべき存在かも知れません。でも「もしかすると原作者がアニメに登場するバンドを見て何かしらインスパイアされたのでは?」と想像するくらいはいいんじゃないでしょうか(ぼくは勝手にそういう想像をしていますが)。ともあれ、アニメ版における他バンドがHTTにとって「気になる存在・刺激材料」くらいだとすれば、大学編ではそれが「ライバル」として感じられるかどうかの微妙なレベルになっています。
で、コミックの大学編なんですが、HTTの中では一番マイペースに振る舞ってきた唯が晶にライバル意識を見せるくだり、これがとても面白かったです*3。もっとも唯からすれば、恩那組こと晶に関しては「ライバル」であると同時に「ベタベタくっつきたい対象」でもあるのですが、このアンビバレントさが唯ならでは。ほかのメンツではこうは行きません。また、今まで身近に存在しなかったライバル的な相手に対抗心を燃やしてみる・・・その行為自体が唯にとっては新鮮で面白かったのでしょう、きっと。
まあ、ライバル云々の表現は特に出てこなかったようですが、今までの高校エピソードにはなかった要素として目を引くところであり、自分の中ではちょっとブーストされた印象として残っています。

大学編とは?

単行本を読んでいてふと思ったのが、大学編のストーリーは「唯から梓に向けた近況報告」なのではないか、ということ。
コミックの中でそういう文体をとっているのは1話と5話のみなので、それを根拠として語るのはいささか頼りないところですが、大学編にいっさい梓を登場させない構成の真意は、ひょっとしたら「梓は、唯からのメッセージの受け手だから、出すわけにいかない」なのではないか。そう考えると少なくとも自分としては腑に落ちます(蛇足になるけれど、恩那組の描写ウェイトが晶に偏っているのも、唯の関心対象が主に晶だったからと考えるとしっくりきます)。
高校編の描写によれば唯と梓は卒業後も連絡を取りあっているようですし、梓は唯からの電話やメールを通して自分がまだ知らない大学生活についていろいろ想像をふくらませてみたり、今まで自分が在籍していたHTTを客観的に見てみたり、HTTを仮想的なライバルとして意識することで自分のモチベーション向上を試みたり、そういう機会を得られたのだろう、それが高校編における梓の描写(とくに後半)につながっているのでは、と・・・これもまた勝手な想像ですけど。
そんなことを念頭におきつつ、10月末に発売される高校編の単行本を読んでみようかと思っています。

最後に

前にも書いたとおり、1年生の学園祭シーズンで物語に幕を引いてしまうのは納得できないところですが、作品が終了した経緯を「作者がもともと乗り気ではなかった」とか「大学編と高校編を両立させる企画自体が失敗だった」とか、そういう形で納得するのもまた、納得できないところであります。アニメ放映途中からとはいえ、このけいおんシリーズにハマった者としては、できることなら自分の中で美しく納得して受け取りたい、そんな気持ちがあるんですね。それは、事実をねじ曲げた納得の仕方なのかも知れませんが、何というか大人の事情を忖度するのではない形で、作品世界に対してひと区切りをつけたいというか。

けいおん!  college (まんがタイムKRコミックス)

けいおん! college (まんがタイムKRコミックス)

まあ、欲を言えば、教員免許をとった唯が母校に錦を飾るところまで視野に入れてほしかったんですけれど・・・

*1:夏フェスに描かれるバンドは除きます。

*2:どちらも3人組かつ律つながりですが、高校時代に「恩那組」というバンド名を思いつくくだりは単行本2巻で言及されています。

*3:6話および9話を参照ください。

ロンドン訪問記4(映画けいおん!の舞台モデル関係)ホワイトクリフ・ブライトンピア

  • 前回の続きです。
  • 映画のエンディングに出てきた断崖ホワイトクリフと、カラフルな滑り台"Helter Skelter"のあるブライトンピアを見てきました。

ホワイトクリフまで

  • ブライトン周辺を走るバス。これで"Seven Sisters Country Park"まで移動。

  • カントリーパークの入り口。

  • 中では羊や牛が放牧されていて、でっかい農場のようだった(動物の逃亡を避けるためか、所々に木のゲートが設けてある)。
  • ホワイトクリフまでの道のり、最初はのどかなピクニック気分だが、海辺の断崖へ近づくにつれて登り坂になっていく。

HTT5人が走っていた断崖ホワイトクリフ

  • ちらほら見える白い文字は、観光客が近くの石灰石を集めて作ったもの*1
  • ぼくは歩道橋を渡るのもヒヤヒヤするくらいの高所恐怖症なので、とてもとても崖っぷちには近寄れない。
  • 上の写真に見えるようにホワイトクリフ周辺はウネウネと急な上り下りの勾配がついており、自分のすぐ先の視界が途切れるのである。これがまた怖い。
  • "Seven Sisters"とは切り立つ断崖を7人の聖女だか修道女だかに見立てた命名らしく、この先もどんどん歩いて行けるようだけど恐怖と披露が先に立ってしまったので聖女2人分くらいで引き返してきた(うーん・・・風光明媚な景色を愛でる心理的余裕もなかったなあ)。

  • 写真左:手前を行く男性がだんだん視界から消える、その先の道のりが見えなくなる、これがとても怖くて足がすくんでしまう。
  • 写真右:道のりの勾配を横から見るとこんな感じ。坂を下った先が谷底になっているわけではないと頭では理解できても、正面からいざ挑もうとすると本能的な警戒心がそれを阻んでしまうのであった。まったく情けない限り。

  • ヒヤヒヤしながら歩いていたホワイトクリフを下から見るとこんな感じ。
  • 足元は砂利浜ではなく、直径数センチの石ころ浜。歩くたびに足がズボッと沈んで歩きにくかった。

Helter Skelterのあるブライトンピア

  • 映画エンディングの冒頭に出てくる滑り台"Helter Skelter"は、ブライトン駅南方にある桟橋ブライトンピアの先っぽ。
  • カラフルな外装だが誰も近づく人はおらず、寂れた遊園地然とした佇まい。

  • エンディング映像に一瞬だけ出てきたメリーゴーランドも同様に誰も乗っていなかった。
  • 晴れた日ならまた別の印象だったろうが、曇天によって一層かき立てられる寂寞感がまた味わい深いのかも知れない。

  • まあ、観光客もいるにはいるんですがやはり寂しい、流れてくる曲がWild Cherryの"Play That Funky Music"だったりで何とも。
  • 海岸沿いには、映画「さらば青春の光」でスティングが扮するモッズ青年・エースの勤めていたホテルがあるらしい*2

アクセス方法など

  • ロンドンのヴィクトリア駅から出ている列車でブライトン駅まで約1時間。
  • 列車チケットは当日でも買える。英会話に自信がない場合は自販機でも購入できる(クレジット可)。
  • ブライトンもしくはその東側のイーストボーンからバスで"Seven Sisters Country Park"まで行ける。だいたい10分間隔で運行している。
  • パーク入り口から断崖、往復で歩いて1時間半〜2時間くらい。ロンドンから行って戻るには半日ちょい見ておいたほうがいい。
  • まあ、いずれにせよ足が疲れるので歩きやすい靴が必須。
  • 秋以降は日が陰ると冷えるので着込んだほうが無難だけど、歩いているとけっこう汗をかくので体温調整も注意。


おつかれにゃん。

*1:折角の機会だから「あずにゃんLOVE」とでも書いておけばよかったと今にして後悔。

*2:事前確認しておくべきだった:イングランド南東部を走る:薔薇と美食とお屋敷と (2012年6月中旬)

ロンドン訪問記3(映画けいおん!の舞台モデル関係)Temple駅・ロンドン塔ほか

前回の続きです(今回を含めてもうちょい続きます)。

カフェに向かう道のり

  • 劇中で旅行2日目、大英博物館を出た唯たちがアフタヌーンティーのできるカフェに向かう通路。
  • テムズ川沿いにある地下鉄Temple駅出口、そのすぐ東にある歩道を北に入る。

  • 映画のアングルよろしく上から見下ろす図(3・2・1の方向にパンする)。
  • 劇場で見た時は「上空から撮ったのかな」と思っていたけど、BD付属の絵コンテ集にしっかり撮影写真がついていたので、作画上の演出でないことが分かった。
  • 絵コンテ集の写真を意識してもうちょいパノラマ風に撮れよって話ですが・・・下手で申し訳ございません。

ロンドン・Temple駅出口東側の階段を見下ろす - YouTube

  • デジカメで動画も撮ってみた(上のリンク)。
  • "UNDERGROUND"の標識があるところまで階段を昇って左手、もうひとつの階段を昇ったところの小さな公園から見下ろすカットが撮れる。
  • HTTの目指した「予約の必要なカフェ」は公園の反対側、事前に知っていたけどまだ空きビル状態だった(写真は割愛します)。

高架下のお化け屋敷

  • 旅行3日目、背の高い人に追いかけられて5人が逃げる場面。
  • 地下鉄London Bridge駅のそば、Duke Street Hillの高架下にあるお化け屋敷(?)"London Bridge Experience"が見える。
  • 異常に背の高い人こそいなかったけど、周囲では白塗りの従業員がパンフレットを配っていた。
  • ともあれこの高架下を駆け抜けると、次のカットはもうロンドン塔近くになっている。

ロンドン塔周辺

  • 5人がひと休みしていると川上さんから電話がかかってくる場所、ロンドン塔西側の堀沿いですね。
  • 細長い石の腰掛けと城壁の樋(とい)、これがロンドン塔周囲のどこらへんにあるのか分からず、ちょいと迷った。

  • 5人の疾走ルート(B〜Aのもうちょい南西方向)。Googleマップによる推測経路とは違って、たぶんタワー・ブリッジを渡ってすぐに左に折れると思うけど。
  • 距離的には1.5kmぐらいか。このルートを全力疾走するのは高校生でも疲れるのでは・・・?

おまけ

  • 写真左はタワー・ブリッジ、右はテムズ川に停留する軍艦ベルファスト号(現在は観光施設)。
  • ロンドンの街みたいにスケールの大きな・・・と語る唯のイメージを想起して周辺の景色をピックアップした次第。
  • 晴れた日のテムズ川沿いはどこも映えて見えるのだけど、川の色が濁り気味なのは残念。